ピンクのふわりとしたワンピース、白いレースが彼女が動くたびに揺れて。
思わず見とれて崩れた表情。
(かわいいじゃねーかっ)
頬を赤くしてコナンはへろりと笑う。
こういうのも似合うのか、意外な組み合わせに驚きながらも彼女から目が離せない。
胸までかかるストレートの髪がさらさらと流れ、恥ずかしそうに笑う表情が砂糖菓子のごとく甘い雰囲気を醸し出す。
長いつきあいだが、こうした格好はあまり観たことがなかった。
なんだか自分も照れてしまって、ぽりっと鼻の先を掻いて視線をそらす。
意外な組み合わせっていえば、あいつの背広も意外だったよなー。
ふいに思い出すダークカラーのスーツ。
高校生だというのに、嫌味なほどすっきりと着こなしていた。
いつもラフな格好に帽子を被っているのしか見たことがなかったから、パーティ会場では一瞬見違えたのだ。
それなのに料理を片手に見下ろしてくる表情は、子供じみたやんちゃさを滲ませていて
いつもの彼だなと、苦笑交じりにひどく安心したのを覚えている。
ふっと肩の力が抜けた。
またそろそろ今夜あたり電話があるのではないだろうか。
とっととこの事件を解決して、またあいつに答えあわせと称して推理させてみるのも一興。
新一の表情になったコナンは、証拠を掴む為に めまぐるしく脳を回転させた。
「なんや?」
「なんで手、掴んでんだよ。」
「・・・魔犬が出たら怖いやろ?」
「西の名探偵ともあろう服部平次が、かあ?ああ?」
「おーこわこわ。心霊現象のせいやろか。なんや寒くなってきいへん?」
「おい抱きつくなよっ、こら!抱えんな!」
「そない暴れられると手がすべりそう。」
「わっ、てめえ!どこ触ってんだ!」
「ああ、暴れると俺よろめくわ。証拠の跡、踏んだら大変やー。(棒読み)」
「・・・いっそこっから突き落としてやろうか。」
「・・・あのー、そろそろ戻らないと・・・。」
「「あ。」」
※今週のサンデーのコナンの表紙参照のこと。
あの距離に滾った!二人の手の先の行方なんて聞くまでもねえーっ(笑)!
工藤の部屋に行ったついでに、うっかりノック忘れてそのまま入室。
本棚の整理をしていた彼は扉に背を向けていて、そのせいで俺の入室への反応が遅れた。
ぎくりと肩を揺らしたかと思うと、咄嗟に後ろに何かを隠したのが見えた。
動揺がありありと浮かんでいる表情に、悪戯心よりも先に嫉妬心が沸いたのは我ながら心が狭い。
こんな状況下、隠すものといえば年頃の男はただ一つ。それが恋人の前ならなおさら。
「何隠したんや?」
「…なんでもねえよ。」
斜めに視線を投げて、あからさまにこの状況をなかったことにしようとしている。
「ほーお。」
ごまかしとおせるとはおもっていないだろう、なんとか隙を突いて逃げ出そうという気配がありありとしている。
青筋浮きそうなこめかみをなんとか平静に保ちつつ、ふっと天井を仰ぐと声を出した。
「あ、」
「え?」
その声と視線に、思わずつられた新一が上を向く。
隙を逃さず手を伸ばして、彼が背中に隠していたものを腕ごと引っ張り上げた。
「あ!てめっ」
狙いは違わず、やはり手にあったのはDVDのケース。
どっこのAVや!いっそ見て、その通りに喘がせてやろうかと勢い込んでそのケースを見れば。
「………工藤。」
「うるせー!いいじゃねーかっ!」
「…………」
「そんなナマ温い目で俺を見んな!っつーか、ぽんぽんと背中を叩くな!」
あまりのかわいらしさについ涙ぐんでしまった。
眦を指で押さえつつ、あまりに微笑ましい出来事に口元が震える。
「お前、…そら、グラナダTV版くらいは揃えとるだろーと思っとったけど、」
「いいじゃねーかっ!!これだってホームズだぞ!」
真っ赤になって言い返すけれど、手にしたものが宮崎版のホームズでは様にならない。
「ほんま、かわええ…っ」
「そーいう反応だから!見つかりたくなかったんだよっ!!」
前回まではこちら。
bitter bitter2 bitter3 bitter4 bitter5 bitter6 bitter7
自身の腕の中で新一の項を見下ろす形となった平次は、その首をすべる雫に見とれた。
恐ろしいほどの欲が、一瞬にしてぶわりと膨れ上がる。
慌てて自分が首にかけていたタオルを新一の頭に被せて、再び彼の髪を拭い始めた。
より平次の胸にもたれかかり、新一が体を震わせる。
「何で、あんなこと言ったんだ…!」
声にはひどく哀しいものが混じっていて、そのことが平次を苦しい想いにさせる。
自身の行動が新一をどれほど彼を追い詰めていたのか、その断片を見た気になるが、
けれど平次も限界だったのだ。
「――― 言わずにはおれんかったんや。」
固い声に新一はタオルの隙間から平次を振り仰ぐ。
苦い笑みを浮かべて、平次は視線を壁へと流した。
「あの前の日、和葉から答えを迫られた。」
止められた手が、新一の肩に乗せられる。
「俺は気付かんかったけど、あいつ俺のことが好きやったんだと。」
そこまで話して、新一の表情を見た平次が口元を歪ませる。
「…ああ、お前も知ってたんか。」
小さく頷く。当たりまえだ。あれでわからないほうがおかしい。
「断って、泣かれて、…何度も『好き』って叫ばれて…、けど俺な、ひどいねん。」
断りの答えを泣きながらも結局は受け入れた和葉。
「泣いている和葉を見て、大事な幼馴染傷つけて悲しかったけど、」
―――自身の姿を映して、苦しい気持ちにもなった。
「もしかして蘭ちゃんも、お前に答えを迫るかもしれんと、そう思うたら。」
もしかしたら本当に二人が結ばれたらという思いに囚われ始めると、
その想像とともに吹き荒れる自身の嵐を止めることができなかった。
タイミング悪く、その嵐を抱えたまま事件現場に新一と居合わせてしまったのだ。
事件が起これば自身の恋愛事情などカヤの外、ひたすらに探偵としての嗅覚ばかりに集中してほとんどその想像すら忘れていたのだけれど。
解決とともに訪れた二人の凪、相棒としての手腕を互いに存分に発揮した満足感。
失うくらいならこのままでいようと自然と浮かんだ笑みに誓ったその直後、
けれどあの着信音で、平次の箍はあっけなくはずれたのだ。
ごく当たりまえに、その特別な日に彼女が訪れることを受け入れている新一を見て、
この手が届かない現実を思い知らされたようだった。
事件を追う探偵としての二人のコンビネーションも、その日ばかりは平次を煽った。
自分だけが、自分こそが、彼の隣に立てる唯一の人間だと叫びたかった。
浅ましい嫉妬だとその時は気付きもしないで、平次は新一の腕を掴んだのだ。
堰を切って溢れる新一への想い。言葉にすればそれはあまりにつたないもので、歯がゆさを覚えた。
信じられないと驚愕する新一に、やはり受け入れられないのだと気付いて拳を握る。
それでも好きだと告げる気持ちを抑えきれず、無意識に壁際へと新一を追い詰めていった。
吸い寄せられていく唇。好きや、とそれだけが平次の中を荒れ狂う。
「俺は蘭が好きなんだ!」
悲鳴のような告白とともに、新一の拳が平次の頬に飛ぶ。
混乱する彼の拳は揺らいでおり、本当は避けられたがあえて受けた。
そうでなければ止まることができなかったから。
知っていた。彼がどれほど彼女のことを大切に思っていたのか。
そして、今はきっと裏切られた気持ちにもなっているであろうことが。
これを契機に本当に彼女とつきあうようになるかもしれない、そう考えると泣きたくなった。
それでも何故かあきらめきれない自分がはがゆく、自身の中で膨らむ彼への気持ちがむしろ強くなるのが恐ろしかった。
「ずっと傍におりたくて、黙ったまま隠しておこうと思ってた。けどそれも―――ちょい、つらくてな。」
言ったことを後悔しない日はなかった。けれどいずれはこうなるのだろうとも予想していた。
「堪忍な。……けど、あきらめきれん。お前が好きで、しゃーないんや。」
新一の頬に手を添えて上を向かせたまま、平次は無理やり笑って見せた。
それは少ししかもたない虚勢でしかなく、すぐに顔を歪ませる。
「なんで・・・!」
こんなに好きになってしもうたんや。
囁くように噛み締めた声とともに、平次はもう一度タオル越しにきつく新一を抱きしめた。
彼の体はもう震えていない。それでも小刻みにタオルが動くのは、今度は平次が震えているから。
ほとばしる想いが彼を壊さないように、必死に自身の衝動を抑えつけながらもほどけない腕。
あふれ出た想いの欠片だけでも、彼を抱き潰してしまいそうなほど強い。
それを振りほどかない新一が今何を思うのか、わからなくてまた歯噛みしたくなる。
「なんでちゃんと蘭ちゃんとくっついてくれんかった?それなら、少しは頭が冷えたかもしれんのに。」
「君を愛しているんだ。」
異口同音に告げられたそれに、眉を顰めることで返答する。
「あなたのことをこの世で一番愛しているのは、私たちよ。」
「愛している。」
「君だけを、愛している。」
男の声、女の声、口々に続けられる告白が部屋を満たしていく。
「罪を犯すほど強い愛だと、いつか君も理解してくれるだろう。」
にこやかな笑顔でうっとりとそう告げた男は、新一の目の前に跪く。
うさんくせえ。
不機嫌さを隠しもせず眉間の皺を深くするだけの新一は、背中で腕を拘束するタイベルトを指先で辿り何らかの突破口がないかを考えている。
通常のタイベルトは小さく、誰でも配線などを纏めるものは見たことがあるだろう。
今新一を縛っているそれは工事現場などで使用されるおおぶりのもので、
一度拘束されればプラスティックの細いそれからは刃物でもない限り解くことは難しい。
せめて足だけでも自由なら自慢の蹴りをお見舞いしてやるんだが、と物騒なことを考えていることを感づいたか。
男の一人が膝下を縛るタイベルトをさすりながら、優しげに語り掛けてくる。
「すぐに外して上げられるから、それまでは暴れないでくれないか。せっかくの綺麗な肌に傷がついてしまう。」
仮面のような笑顔と触る掌のぬるさが気持ち悪く、油断させておこうという計画も忘れて新一は反射的にその男の顎へと蹴りを炸裂させた。
拘束されていても両足を揃えた状態の技ならば繰り出せる。
ぐいと膝を曲げていたのも幸いしたか、威力十分のそれをくらって男は吹っ飛んだ。
あ、しまった。
誤魔化そうと反射的ににこっと笑顔を浮かべてみたが、奇妙なことに周囲の空気は変らない。
いつもならこの笑顔に血が上った人間の報復が待ち受けているものだが、漣めいた笑い声が響くに留まる。
それもむしろ蹴り飛ばされた男へ向けた嘲笑のようで、新一への敵意へと変質しているものでもなかった。
「素晴らしい蹴りだね、サッカーの腕も鈍っていないようだ。」
「両足というのは珍しいねえ。拘束している状況も悪くない。」
むくり、蹴飛ばされた男も起き上がるが怒るそぶりは見せていない。
鼻血を垂らしつつも、むしろ晴れやかに笑っている。
「工藤新一の蹴りだよ、噂にたがわず素晴らしい!」
早く生で触りたいなあ、嘆息に混じり零される本音。
漣から小波へ、うねるようにして少しずつ強くなる笑いの波。
流石にここへきて新一も、状況があまり芳しくないことに気付く。
「ここにいる者は全て君を心から愛している者たちだ。」
「誰も君への愛においては他に引けをとらないと自負する者ばかりだよ。」
愛愛愛と、愛情の大安売りだな。
けっと内心で毒づきながらも表情は変えないまま彼らを観察する。
残念ながら皆一様に正気のようだ。視線も定まり、薬物や狂気の気配も薄い。
集団心理がこの状況を加速させているのか?
話を聞いているふりを続けたまま、周囲の観測と推測を怠らない。
情報収集は探偵の基本だ。
後から来るヤツのことも考えれば、少しでも相手から情報は引き出しておきたい。
黙ったまま、殊勝に話を聞いているふりをして様子を伺い続ける。
まるでオペラのステージにいるような男たちは、朗々と歌うように話を続ける。
「けれど君はこの愛に気付かない。」
「そして誰も君を独占することができないことに気付いたんだ。自分の愛がいかに強いかを各々が訴え続けたんだが決着がつかなくてね。」
「ならば、共有しようということになったのよ。」
さざめく笑い声。ぞわり。新一の中で警鐘が鳴る。
犯罪者の中には衝動的に狂気に走るものも少なくはないが、これは意図して狂気へと向かう集団のようだ。
狂信者にも似ているその空気を感じ取り、新一は対応を模索する。
乳幼児が誘拐された事件の依頼だった。
いくつかの不審点は身内の犯行を示しており、そのために探偵を雇ったのだという説明も納得のいくものであった。
ただその子供の母親が入院中であるということも含め、依頼主たちの様子に何かしら嫌な予感があったのも確かだ。
親族だと紹介された複数の男女は、親族だと名乗る割に互いの言葉遣いはよそよそしさばかりを感じる。
出された紅茶にも手をつけず、新一は警戒を緩めないまま捜査を続けて事件の概要を掴みかけた時。
その様子に痺れを切らした連中が、奥の手として隠していた子供を人質として新一の自由を奪ったのだ。
泣く子供を抱いた母親は、虚ろな表情のままその腕を掲げた。
女の隣に立つ依頼主の男は、その腕から子供を受け取り慈しむ眼差しをそそいだ。
「私の子供というのは嘘ではありませんよ。このためだけに産ませたのですから。」
あなたの餌になるためにようやく役だった、そう嬉しそうに笑って女へと子供を返す。
機械的に受け取った女が静かに部屋を出て行ったのを、怒りに似た感情で見送ったのは何時間前か。
【2】へ
暗い部屋に軋むスプリングの音。
荒い息の中、低温で名前を囁く。
零れる喘ぎ、湿る空気、時折高く啼く声。
狭まる間隔の音のそれらを、律動の激しさが揺すぶる。
しかし、突然の電子音が全てを止めた。
ピリリと鳴るそれは、二人の全身を緊張で固めるに十分なもの。
――― 新一は公私で電話の着信音を分けている。
両親や蘭、博士や哀など私的つきあいの深い人間の着信音は通常の着信音とは異なるように設定されているため、
それと異なる音のこれは、公の部分の人間関係からかけられた電話。
しかも時間は深夜、通常の依頼ならば到底かかるはずのない時間。
ならばそれが示すものはただ一つ。
続けて1コール。
二人は顔を見合わせて、ふっとどちらともなく笑うと結合するその身を引き剥がす。
抜け出る感覚に声が漏れるが、欲に濡れた瞳はすでに聡明な光を取り戻しており、
乱れた髪からのぞく紅潮した頬とのアンバランスさが際立った。
2コール。
軽く唇を合わせて、互いは半身を起こす。
平次は身を翻してベッドを降り、散らばる衣服に手を伸ばす。
3コール
下着を身に着けた平次が、処理を終えて用無しとなったティッシュの箱をベッドへ投げた。
新一は視線を電話に向けたまま片手でそれを受け取ると同時に、
携帯電話を手に取り手首のスナップだけでフリップを開いた。
4コールの途中、通話ボタンが押される。
「はい、工藤です。」
もう息も乱れていない。
先程までの情事の匂いを欠片も感じさせない理知的な響き。
電話の向こうから僅かに漏れ出る音で、高木刑事の安堵した様子が伺えた。
応対する声を背後に聞きながら、事件と確信した平次は着替えるべく新一の部屋を出て行く。
「…はい、…はい、そうですか。では今から現場に向かいます。いえ、大丈夫です。」
肩口と耳に電話を挟みながら会話を続けていく。自由な両手で下着を身に着ける。
「・・・ええ、服部も来ていますから、…ああ、大丈夫です。二人とも起きていましたし。」
ベッドから立ち上がってクローゼットへと向かい、ジャケットを選ぶと同時に頭の中でコーディネイトを終えて、
必要なものを備え付けの棚から引き出しを開けて取り出していく。
「とりあえず事件の概要をお話いただけますか?」
滑らかな動きには無駄な動作がひとつもなく、急な呼び出しに慣れていることが伺えた。
説明を聞きながらシャツを羽織りボタンを留めている途中、
すでにTシャツとカーゴパンツに着替えた平次が、部屋へと戻ってきた。
バイクのキーと車のキーを両手に一つずつ、指に引っ掛けている。
新一はちらと平次に視線を送ると、バイクのキーを持つ側の手へと顎をしゃくった。
頷いた平次が踵を返して部屋を再び出て行き、新一はそれを見送りもしないまま電話の説明に耳を傾け、
ボタンを留める手はスピードを緩めない。
「では、以上の点を確認しておいていただけますか?・・・はい、必ず。よろしく頼みます。」
着替えを終えると同時に電話を切った新一が開け放たれたままのクローゼットへとまた向き合い、今度は僅かの逡巡もなくバイク用のジャケットを手にした。
階段を駆け下り、玄関から外へ出ればすでに門の外にバイクを暖気している平次の姿があった。
走り寄ると同時に、ヘルメットが投げ渡される。
「どこ?」
「渋谷。詳しい地理は走りながら話す。」
平次はふんと鼻を鳴らすと、口角を吊り上げて笑う。
地面に置いてあった自分のヘルメットを片手で持ち上げ、ふと思い出したように新一へと声をかけた。
「インカムつけといて。ついでに事件の概要も聞かせてくれるんやろ?」
「おう。密室だとさ。」
「そらまた・・・。」
楽しみと続けそうになってさすがに不謹慎と口を噤んだ平次に、新一は思わず笑う。
近づき、ヘルメットを被ろうとしていた平次の肩にとんと己の肩をぶつけた。
「服部。」
「ん?」
盗むように唇に触れる。
舌で下唇を撫で、閉じられたそれが緩んで覗いた歯列をなぞり。
熱の篭る息を吐くと同時に、奪う勢いで絡められた舌。
メットを持ったままの平次の腕が新一の背中にまわされ、思うまま咥内を荒らされる。
脳髄まで痺れて、戦慄く吐息。
ようやく離された口元を親指で拭うと、平次は恨めしげに新一を見つめた。
「・・・せっかく収まったんに。」
「走りゃ、風で冷えるだろ。」
意に介せず、指示通りインカムをつけてヘルメットを被るが、視線を合わさぬようさりげなく背を向けてもいる。
「消えんこと、知っとるくせに。」
「てめえだけじゃねえことも、知ってるだろ。」
拗ねた口調の平次に軽く爪先で蹴りをいれ、新一はバイクのシートに置いてあったグローブを手に取った。
溜息と共に苦笑しながら平次もヘルメットを被り、ひらり脚を廻してバイクに跨る。
新一もその後ろへ続けて跨り、平次の腰に腕をまわす。
もたれかかるように背中にくっついたのは、ちょっとした嫌がらせだろう。
「現場、前かがみで歩くなよ。」
「お前こそ、思い出して腰抜かすなや。」
平次も軽口を叩き返しつつ、グローブをきゅっと手に嵌める。
ブレーキペダルに足を置いて、クラッチレバーに指をかけた。
重低音が灰色の煙とともに吐き出され、周囲の空気ごと振動する。
「行こか。」
「ああ。」
インカム越しに聞こえる声は、わずかに緊張と昂揚を孕んでいる。
口元に浮かぶ笑みは、二人共通で共有のもの。
―――― 二人にとって、何よりも優先させるもの。
bitter 続きです。
前回まではこちら。
bitter bitter2 bitter3 bitter4 bitter5 bitter6
どのくらいそうしていたのか、そろりと緩められた腕に新一は噛み締めていた唇の緊張を解く。
伏せられていた平次の瞼がすうと持ち上がり、強欲な意思が現れた目にゆらめいていた。
薄く唇が開いて、ちろり覗く舌が赤い。
ぞくぞくと背筋を這い上がる感覚。
工藤、と再び名前を呼ばれて、それがより深く自分に根付いたことを知る。
解かれた腕、離された胸。寒さを覚えて、無意識に平次を見つめる。
褐色の肌が濡れた白いシャツに透けて、剣道で鍛えられた上半身がその形を顕わにしていた。
柔らかく弧を描く胸ではない、しかしゆるり隆起する筋肉の作り出す影がひどく扇情的で目を奪われた。
その隙をつかれ、するりと平次の手が新一の頬を緩く撫でる。
たったそれだけで、もう動けない。
射るような平次の視線を正面から受け止める。
頬から顎へと伝う平次の指、僅かに力がこめられて新一の顔を少しだけ傾けさせた。
ゆっくりと近づく二人の距離、息がかかるほど近く近く引き寄せられていく唇。
瞼は閉じることを忘れて、ひたすら目の前の男を見つめるだけ。
新一の顎を支えていた指はすとんと滑り落ちて、肩を伝い次に上腕を掴んだ。
ぐっと引き寄せられる強さに新一は硬直する。
平次の睫が思ったよりも長いのだということに初めて気付き、それはどうでもいいことなんだと考えていた。
それが動揺だと悟るものの、なお近づく距離を全身で感じる。
近づけば何かが変る。新一はそれが恐ろしいのだ。
怯えの色が濃厚に瞳を染めて、意図せず腕が震えてしまう。
唇が触れる手前、震える腕を掴む手の力が強められた後、
平次はすいと顔をいざらして新一の肩へと額を乗せた。
「すまん。」
ポツリ謝罪が告げられると、彼は立ち上がり、きゅっと音をたててシャワーのコックを閉める。
瞬く間に止んでいく雨に平次の髪は濡れて、より黒く艶やかに流れる。
滴る雫を払いもせずに腕を伸ばして棚の上にあったバスタオルを手に取り広げるとそれを新一の肩からふうわりとかけ、
自分はその横にあったフェイスタオルで顔や髪を拭い出した。
その仕草を見て、新一の脳裏に数年前の出来事がよぎる。
不審な水音と、船内を探索しても見えない姿。
夜の海に 服部、と名前を喉が裂けるほど叫んで、呼んだ。
確信のないまま、けれど喪失の予感に指先まで凍りそうで足が震えて、
新一は小さな姿のまま必死に彼を探した。
事件が終わり明るい空の下で毛布一枚だけを羽織ったこの男の髪は、
今のようにまだ雫が残るほど濡れていて。
――― そうして唐突に気付く。
すでに自分が選択を終えていることに。
一向に動こうとしない新一に痺れを切らし、平次がバスタオルで新一の体を服ごと拭い出す。
脱がせるのは流石に抵抗があるのだろう、少し怒ったような顔をして目を逸らしながらごしごしとタオルを動かす。
新一はゆるゆると垂れ下がったままの両腕を動かし、水を吸って重くなった平次のシャツの裾を指先で掴んだ。
驚いた平次が動きを止めて、そらしていた視線を戻して新一の目を見る。
「謝るなら、最初から何も言わなきゃよかったんだ。」
目の前の光景を見ていない、そんな遠い目で話し出す新一に平次は驚く。
ゆっくりとその目の焦点が平次へと向けられていき、奥から彼の持つ本来の光が蘇り始める。
シャツを掴む指にどんどん力がこめられていき、それと共に平次は新一の声の強さに息を飲む。
視線は逸らせない。新一が平次を、いつもの彼の目で見るのは今日はそれが初めてだったから。
憎しみにも近いその表情を瞬きもせず見つめる平次は、それでもどこかうっとりとした気持ちでその目を見ていた。
新一の指が平次のシャツを離れると、今度はその手が拳を作り平次の胸の上に叩くようにして置かれた。
大きく息を吸う音が聞こえて、同時に彼の額がこつりとその手に乗せられる。
指先すら動かせず、平次はその一連の動作を黙って見つめていた。
より深く新一が平次へと体を預け、バスタオルがはらりと肩から滑り落ちる。
「お前が俺のことを好きだなんて言うから、」
壊れたものがある。
眠っていたものが引きだされ、曝け出されてあげく自分をズタズタにする。
08へ
平次とコナンはパトカーへと乗り込んだ。
子供の話を一人ひとり聞くよりも代表者一人で構わないという警察の見解もあり、
コナン一人を残して少年探偵団の残り全員は帰宅することになったのだ。
「俺が保護者代わりについていきますよって、」
そう言いながらほぼ強引にコナンの後ろにくっついて歩いてきた関西弁の男に、はじめは訝しげな視線を送っていた百瀬だったが、その男の素性をコナンから話されるとがらりと態度を変えた。
パトカーの中で平次は携帯電話で毛利探偵事務所へ経緯を説明すると同時に、自分がつきそうので迎えは必要ないと連絡する。
警察について早々、簡潔かつ的確なコナンの説明にそれを補足する形で平次が口を挟み、
息の合った掛け合いに事情聴取のスピードもあがる。
手馴れた彼らの様子に百瀬がたじろぐのを気にもせず、二人は予定よりも早く警察を後にすることができた。
すでにとっぷりと暮れた空に星がちらつく。
のんびり歩いて帰る道すがら、先程の『師匠』発言にコナンは不機嫌さを隠しもせず、
少し遅れて後ろを歩く平次にぶつぶつと文句を言い続けている。
やたらと嬉しそうな顔をしながらそれを聞いていた平次が、突然歩くスピードをあげてコナンを追い抜くと、
ついっと振り返りざま地面を指差した。
「おい工藤、何か落ちてんで。」
「ん?」
反射的に下を向きそうになるが、つんのめりつつそれをこらえる。
「バーロー、二度も同じ手にひっかかるかよ。」
言い置いて、がばりと上を向くと同時に鼻頭にちゅっと軽い感触。
「ほんまやな。」
にっこりと笑う顔が目の前にあって、何をされたか理解すると同時に顔に火が灯る。
「てめえ!」
片手で鼻を押さえて怒るコナンに、立ち上がりざまに耳元で平次は囁く。
「参ったって、顔しとるで?」
「っざっけんな!」
さらに赤く怒りに熟れたコナンを、からりと笑って平次は抱き上げた。
じたばたもがく体をきゅうっと抱きしめて、今度はそっと―――。
怒鳴り声と共に背後からとび蹴りを喰らった。
歯を磨いているときでなくてよかったと、まずそう思えたことが工藤との付き合いの長さを実感する。
「いきなり何すんのや!」
洗面台の鏡にぶつけた額をさすりながら振り返れば、
怒りのためか顔を真っ赤に染めた新一が肩で息をしながら立っていた。
「るせーっ!それはこっちのセリフだ!服くらい着やがれ、この歩く猥褻物!」
「失礼なものいいやな。着とるやん、ちゃーんと短パン履いとるで?」
「上も着ろ!裸で歩くな!俺に見えるところではお前は全身みっちり着てろ!」
びしっと人差し指で平次を指し、腰に手をあてて軽くのけぞる。
見下しながら命令口調。何様やっちゅーねん。
納得のいかない憮然とした表情に、少しきまりが悪くなったか新一の視線がふとそれる。
背後の鏡にそれは投げ出されて、何かをとらえて更に頬に赤みを増した。
映るのはもちろん平次の背中だろう、確認しようと肩を前にひいて首をまわすと肩甲骨辺りにぴりりと軽い痛みが走る。
(あ、昨日の。)
気付かれたと悟った新一が、だんっと足を踏み鳴らして平次の意識を奪い取る。
つられて新一へと顔を向けると、今にも噛み付きそうな表情でこちらを睨み、
すぐ横にかけてあったタオルをがばりと掴んで平次へと投げ捨てた。
どたばたと足音をさせて洗面所を飛び出していく新一の後姿を見送りつつ、
剃ったばかりの顎をそろりと撫でながら、平次はしばし考える。
外は爽やかな5月の朝、天気予報では全国的に快晴。
夏日とはいかないまでも、温かい陽気にむずむずと遠くへ行きたい欲求が湧き上がる。
5月はオートバイの季節やて、どっかのエッセイ屋も言っとったしな。
こんな日に乗らんのは、バイク乗りとしては失格だろうとも思う。
けれど。
染まる頬、踵を返しながらこちらを見つめた目、それらはゆうらりと熱を持って。
「思い出して、欲情したんや?」
喉の奥で笑う。
何気なく開けた扉の向こう、目の前にある背中は夜の跡を色濃く残していた。
自覚のないまま立ち昇る衝動に、おそらくは混乱したのだろう。
「どうするかっちゅーたら、そら、比べるまでもないなあ。」
空気の入れ替えのため、少しだけ開かれた窓からあっけらかんと晴れた青を見あげる。
にんまりと口元に浮かんだ人の悪い笑みが、すうと口角を引き上げられてその表情を変えた。
鏡に映るのは、獣の笑み。それは一瞬で立ち消える。
「今日の予定は読書か映画か。なんでもええけど、家ん中決定やな。」
獰猛さを押し隠し、狼は犬の振りをしてしなやかに身を翻す。
不器用な誘いを掴まえるために。
前回まではこちら。
bitter bitter2 bitter3 bitter4 bitter5
ごし…と擦り続けるにつれ、肌が擦れて赤く上書きされていく。
あの日以来、平次のことを考えれば苦しいばかりだ。
こんなふうに哀しい気持ちになることにも少し慣れてきていたはずだったのに、
こうして彼を目の前にすれば、消えない記憶になお強く苛立ちすら覚える。
わかっている。自分がどこかおかしいことに。
それらを考えたくなくて、事件に没頭する日々を送っていた。
一人にはなりたくなくて、携帯のメモリーから適当に選んだ人間を呼び出した。
今までは蘭が新一を一人にしないようにしてくれていたことに、遅ればせながらようやく気付く。
女友達との時間よりも、家事や父親の手伝いよりも、考えてみればずっと自分との時間を優先し
大切にしていてくれていたのだということに。
事件のたびに置いていかれて、一人残された彼女が何を思っていたのかはもうわからない。
ぼんやりと擦り続ける腕を、いつのまにか傍まで来ていた平次の手が止めた。
「もうやめとけ。傷になる。」
声に見上げれば、彼は傷ついたような顔をしていた。
止めたことを確認した平次に手を離されて、腕がぽふんとベッドに自重で落ちる。
ひりり、首筋が痛んだ。その痛みが不快ではないことが新一を幾分落ち着かせた。
その様子を見ていた平次が、罰の悪い表情を浮かべて後頭部をがしがしと掻いて唸る。
見上げると視線があった。躊躇いがちに平次が口を開く。
「もしかして自分、ふられたんか?」
振ったか振られたかで言えば、おそらく自分が蘭を振ったことになるのだろう。
けれどあの状況はその一言でかたづけられるようなものではなかった。
応えない新一をよそに、平次は推論を進めていく。
「そんでショックで女漁り、とか?」
新一は小さく首を振った。
言われてみて初めて気付いたが、そのこと自身は新一にとってさほどショックではなかった。
蘭を失う苦しさは本物であったが、喪失は淋しさとともにもう彼女を置いていかなくても済むのだという安堵をも感じさせていたから。
ただその原因たるものが何処にあるのかを計りかねており、それが指摘された行動へと繋がっている。
だから新一は再び首を振る。それを見た平次は小さく舌打ちした。
「違うなら、なんでお前があんなことしとんねん。」
声が僅かに荒くなるが、すぐに自身を立て直し呼吸を整える。
もう一度新一へと正面から向き合い、平次は先程と同じ言葉を繰り返した。
「なあ工藤。俺が原因言うなら、ちゃんと話してくれんか?」
「……わからねえよ。」
その答えをどう受け取ったか、平次はそれ以上新一に追求することを止めた。
身動き一つとれないまま無言の時間が過ぎる。
時計の針が動く音が聞こえてきそうな沈黙が、じりじりと二人を攻め立てた。
「あー、もう。」
先にその沈黙を破ったのは平次だった。
片手で前髪を掻きあげると、新一に背を向けてつかつかと歩き出してクローゼットの前に立つ。
「とりあえず別に部屋とるわ。このままだと眠れせん。」
扉を開けて、中から黒いスーツやドレスシャツを取り出した。
遠目からでもわかる仕立てのよい上質な生地、礼服だろうと推測がつく。
「明日の式にひどい顔で出る訳にはいかんからな。」
一人ごちながらもひととおり衣服や小物のチェックを始めた平次に、新一は彼が東京にいる目的を思い出した。
笑う女、ひらり手が平次を呼んで、振り返る彼もまた同じように笑っていて。
新一は掌で口を覆い、それでも溢れそうな不快感に耐えられず指を噛んだ。
軽い痛みに我に返る。
慌ててその手で前髪を何度も掻きあげてごまかすが、指にじんと滲む歯型が新一の心を乱す。
彼の隣に並ぶ女の姿を思い浮かべるだけで、ひどく気持ちが悪い。
無意識に鳩尾に手が伸びて、胃の辺りをさする。
背を向けたまま支度を整える平次はそれに気付くこともなく、軽快な口調を緩めない。
「他の荷物は明日取りにくるから、ほかっといてええで。」
片手にスーツをひっかけて、平次はざっくりと荷物をまとめた。
「お前も風呂でも入って少しは酔い覚まし。ちゃんと布団被って寝るんやで?」
暗澹とした空気を拭うようにして、からりと笑い軽口を叩いてドアノブに手をかける。
一瞬ぎゅうとドアノブを握り締められ、平次の肩に力が入るのがわかった。
同じように新一の体にも緊張が走る。つられるように、じっと平次の動きを見つめた。
迷いのためか平次の視線が刹那こちらに投げられ、慌てて隠すように伏せられる。
そこには、あの日の暗い目が足掻いていた。
認識と同時に、湧き上がる衝動が新一の足を動かす。
立ち上がり大股でユニットバスへと向かい、勢いよく扉を開いて室内へ転がり込むとおもむろにシャワーのコックを捻った。
冷たい水が新一の頭上からざあと降り注ぐ。
瞬く間に全身が濡れて、冷えていく脳に新一はようやく息をつける。
移り香の香水も口紅も、何もかも過去は流れてしまえばいい。
くっと唇を曲げて笑う。
馬鹿なのは自分。目の前に揺らめく答えから目をそむけ続ける。
何かはわからない不安、その源たる平次の声、失った安寧と鞄にしまわれたチョコレート。
それらはバレンタインのあの日、壁際へと自分を追い詰めた彼の瞳に消える。
その瞳は思い出すほどに、怒りのように新一の身を焼いて。
「何しとんや!」
慌てた平次が飛び込んでくるのを背中に感じた。
ためらいなく雨のように降る水の中へと腕を伸ばし、新一の腕を掴んで振り返らせる。
「工藤!」
間近で名前を呼ばれて、新一は笑った。
どうして笑ってしまったのか、自分でもわからない。
ひどく真剣な表情で、心配していることを隠せずにいる平次があまりに幼い顔に見えたからかもしれない。
くしゃり、歪んだ表情が何かを耐えるように唇を噛み締めて震えた。
「このアホが…!」
途端、がむしゃらに抱き締められた。
水を止めることも忘れ、平次は新一を掻き抱く。
冷えた体に温かく彼の鼓動。跳ねる心音に胸が騒いだ。
体全てに血液が巡るのだと実感できるほど強く、質量を持って音をたてている。
背中に廻された平次の腕は、胸を圧迫する強さで新一を拘束していた。
――― なんで、泣きたい気持ちになるのだろう。
だらり垂れ下がる腕が、何かを求めてざわめき指先がわずかにひくつく。
二人して濡れていく、まるで一つの塊になったみたいに。
平次は何も言わない。ただ新一を抱きしめながら、耐えている。
零れる息は熱くて、それを感じながら新一は何度も溜息を嚥下した。
少しでも口を開けば、そこから何かが崩れてしまいそうだった。
07へ
経費削減と混雑を避けて、大学の体育館や部室を使うそれは、
むさ苦しい空気が漂うものの、それ以上に和気藹々とした闊達な明るさが場を和ませていた。
時間をみつけて顔を出すOBもいて、朝から稽古にも熱が入る。
食事時にはどんぶりに何杯もおかわりをする連中に、有志の臨時マネージャーたちが半ば呆れつつも楽しそうにご飯をよそう。
日頃は少ない女性らの出現により、一層テンションのあがった男たちは練習も食事の量もさらにヒートアップしていた。見ればいい雰囲気になる組み合わせも数名いて、それがまた周囲のやる気を煽る。
合宿の一日目は興奮したか、修学旅行さながらの布団の上での賑やかな密談が行われていたが、
二日目ともなれば疲れのためか、布団にはいると同時に寝入るものも少なくない。
平次も一度は寝ようと布団にはいったものの、有志マネージャーの一部に呼び出されて無理やり起こされてしまった。
用件もこれまた毎年顔ぶれが違うだけの同じ内容で、俺を想うなら寝かせてくれと溜息を隠しながら、
あたりさわりのない程度に彼女らの申し出に断りを入れる。
背後に数人その様子を眺めにきていた連中がいたが、おこぼれでもねらおうとでもいうのか、
平次が丁重に辞退したことで泣く彼女らを慰めるべく先程気配を消した。
このまま布団へ戻るのも馬鹿馬鹿しくて、ぼんやりと夜のグランドを歩き月を眺める。
そういえば今は何時だろうか、ふと気にかかり携帯電話を取り出して画面を確認し、
何気なく日付を見て、それが5月4日であることに気付いた。
「あー…忘れとった。」
かしかしと後頭部を掻く。天を仰いで溜息を一つ。
浮かぶ半月に薄く雲がたなびく。
「…どないしよかな…。」
すでに23時を半分以上廻っている。こんな時間となると電話をするにも難しい。
というか、だいたい誕生日ごときで電話をするなど恥ずかしい気もする。
――― 声は、いつだって聞きたい。
けれどアニバーサリーを祝う名目となると、気恥ずかしさがどうしても勝る。
メールでメッセージを送ることも考えたが、それもやはり照れくさい。
「なんや、変な感じや…。」
携帯を眺めながら、溜息をもう一つ。
友達ではない特別な関係になってから、初めて迎える新一の誕生日。
祝いたい気持ちもあるが、誕生日ごときで何を、という気もしないでもない。
実際誕生日を迎える都度、周囲の盛り上がりに自分がついていけないことも多かった。
和葉や学校の女生徒達はプレゼントを渡しに机を取り囲んでいたし、
学校のない日は和葉が朝から自分を連れ出して色々なところをまわり、
平次を少しでも喜ばそうと骨を折っていた気もする。
母親はドライを装い、ぽんと現金を渡して好きなものを買えと言いながら、
朝から平次の好きなものを献立にふんだんに取り入れたり、知らぬ間に箪笥に服が増えていたりしたものだ。
ありがたいと感謝はすれど、年齢が上がるにつれ妙な気恥ずかしさが増していたのも確かだ。
「今日はあいつ、どうしとったんかな…。」
友達の頃なら、きっと気付いた時点で電話をしていた。
今気付いたわ、誕生日おめっとさん。
なんて感じで、さらりと祝って、ついでに最近遭遇した事件の話なんかを聞きだす。
それが夜遅くても朝早くても、不機嫌な新一の声を聞いて、きっと自分は楽しそうに笑うだろう。
本当は彼も自分の電話を楽しんでいることを知っているから。
それなのに、今はどうしてか電話することに躊躇いを覚える。
好きや。
口の中だけで呟く。
ぎゅっと握り締めた携帯を胸に押し当てた。
意地なのか、照れなのか、よくわからない。
日本男児が軽薄なことなんかできるか、という通常自分ではあまり出てこないような言い訳まで浮かんでくる。
きっと淋しい一日を送ることはないだろうと思う。
そこに自分がいなくても、彼の周囲にはいつだって人が集うのだ。
彼はその日が特別な日であることを意識するだろうか。
自分と同じで、その一日もただ過ぎていく日々の一つでしかないと思っているだろうか。
どちらにしろ、電話は躊躇われた。
合宿が終わった後にでもかけようと心を定め、布団へ戻ろうと踵を返す。
しまうために胸から離した携帯電話を見ると、ちょうど0時を示していた。
おめでとさん、工藤。
その携帯に軽く口付けて、遠くにいるその姿を想った。
何故だと自問自答しつつも数年ぶりに筆をとる。
