「・・・別に悔しがってなんていませんよ。」
「隠してもだーめ。私にはお見通しよ?」
散乱する瓦礫の粉塵がまだ舞う中、ソファで座ったまま優作は
隣に座る有希子の言葉に大きくため息をついた。
「まさか、本当に逃げ切れるとは思いませんでした。」
言葉そのもの、まさにホームグランドで、しかも自分が本気を出しているのにも関わらず、だ。
「さっすが新ちゃんの選んだ子よねー。」
「手加減させてもくれない。悔しいですね。文句のつけようが、ない。」
掴まえる自信があった。何度も、後少しというところまで追い詰めたのに、
平次は思いも寄らぬ方法で、そのすべての危機を切り抜けたのだ。
「新ちゃん、自分がもうあちらのご家族に試されてること、平次くんに内緒にしてるみたいなのよね。」
「・・・・・・。」
さもあらん。彼はそういう男だし、そういう男に育てたのだから。
「どうする?」
優作の腕に、するりと自分の体を摺り寄せて、有希子が彼の顔を見上げる。
答えは、もう決まっている。
あれほどの人間ならば、大丈夫だろう。傍らに立つことを、彼自身が許したのだから。
「こちらの返事を、あちらのご家族に伝えてくれますか?」
「ええ。」
満面の笑みで立ち上がると、有希子は嬉しそうに携帯電話のボタンを押した。
後日、平次と新一の知らぬところで、親同士の宴席が設けられたとか。
そしてその席で、いささか悪乗りした女性陣による披露宴が開催される運びになるとか。
―――夜通しの戦いでぐったりとベッドに潜り込んでいる狼も、
その横で頬杖をついて、嬉しそうに微笑みながらその耳を弄っている赤頭巾も、
まだそんなことは知らず、静かな朝にまどろんでいる。
工藤邸に着いて早々有希子に掴まり、あれよあれよという間にメイクルームへ連れ込まれた。
すでに先に餌食になっていたらしき新一が鏡の前でぐったりとしている。
長いマントをはおらされており、明後日の方を向きながら乾いた笑いを浮かべていた。
この先に起こりうるだろう出来事は明白で、観念するしかないかと腹を括るのと同時に
有希子の威勢のいい掛け声が背中にかけられた。
「さあ!始めるわよー♪」
彼女の両手にはメイク用具が一式、逆らうことを許さない笑顔で仁王立ちだ。
「よろしくおねがいします・・・」
棒読みで、不慣れな東京弁まで出てしまう。
ひきつった笑顔で返せば、張り切った彼女の瞳が、より一層きらりと光った。
「よく似合ってるわよー」
「はあ。」
ぴょこりと頭から突き出した耳と、たらりと垂れる尻尾は、髪の色と同じ漆黒の毛並み。
「後は仕上げね。もう少しかかるけど、我慢してね。」
「大丈夫です。気にせんといてください。」
新一はすでに完成していたらしく、あの後しばらくしてリビングへと戻っていった。
鏡越しに、んふ、と笑うと有希子は平次の顔をじっと見た。
ふいに淋しげな表情になり、いつもより低めの声で静かに語りだした。
「ねえ、平次君。平次君て、いい男よね。」
優作ほどじゃないけど、と続けられて平次は苦笑するしかない。
「優作はねぇ、新一にとても甘いの。」
平次の髪に櫛を入れながら、有希子は話を続けた。
「今はだいぶ落ち着いたけど、新一が小さい頃なんてそりゃもうすごかったのよ?」
溺愛という言葉にふさわしいかわいがり方だったという。
両親ともに、仕事をせず時間の全てを子育てに投じた。
幸いそれが出来るだけの環境も金銭の余裕もあったためだが、
そうさせるほどのかわいさが自分たちの子供にあったというのが彼らの主張だった。
「毎日、朝起きればおはようのハグにキス、おやすみのハグとキス。転んで泣いたってハグしてキス。」
ぎゅうと抱きしめて、その小さな体が温かいことだけで泣きたくなるほど愛しいと思えた。
自分たちの育む小さな命が、少しずつ大きくなるその変化はあきることのないもので。
「本当にかわいくて、愛しくて、・・・目の中にいれても、とはよくいったものね。」
ふふ、と母親の顔で優しく笑われたら、少し居心地が悪い。
そのかわいい息子を、彼らからかっさらったのは他ならぬ自分なのだ。
「だからね、ちょっとだけいじわるさせてね。」
「へ?」
首をかしげる間もなく、有希子は悪戯な笑みを浮かべて扉の方へと声をかけた。
「優作ー、平次君の準備できたわよー。」
「あれ?先生もおるんですか。」
「うん。今日の主役よ。」
その声とともに、大きな音をたてて扉が威勢よく開いた。
「やあ、平次君。今日はどうも。」
ハンチングを被り、ブーツを履き、そして肩には長い・・・あれは銃身に見える・・・ものがぶらさがっていた。
嫌な予感がした。
「・・・あの、何の格好してはるんですか?」
「見てわかるだろう?狩人だよ。」
―――突っ込みたい。
兄弟デュオの人ですかと突っ込みたいが、それを許さぬ空気が漂っていた。
何故だろう、優作の目が笑っていない。
おもむろに猟銃を肩から下ろし、手にしたそれの安全装置をガチャリと音を立てて外す。
「狼を狩るのは、狩人の仕事だからね。」
嫌な予感の的中率だけは100%を誇っていたなあ、と平次は自分の感の良さを呪った。
「・・・ハロウィンには狩人は出えせん思いますよ?」
なんとか平和的に解決したいと、とぼけてみたが無駄なようだ。
チリチリとした空気で、背中に嫌な汗が流れる。
「嫌だなあ。君はもっと聡いと思っていたよ。」
優作の明らかな本気を感じとり、平次はじりじりと目前の狩人から距離をとりつつ逃げ道を算段する。
しっかり照準を心臓に合わされているのに、無駄に笑顔なのが恐ろしい。
「ハロウィンだなんて、一言も言っていないだろう?」
「このシーズンていえば、学園祭よね♪・・・そして学園祭といえば学芸会でしょう?」
有希子が助け舟を出すかのように、二人の会話に加わった。
しかしちゃっかり安全圏まで退避している。
扉の向こうで手を振る姿で、なんとなくこの先の展開が読めてくる。
ふと平次は新一のマントの色を思い出した。
ハロウィンならば黒いマントだろうに、あれは薔薇のように深い赤色だった。
派手な吸血鬼と思っていたが、彼は、あれは。
「もしかせえへんでも、・・・『赤頭巾』ですか・・・?」
「正解♪」
ピンポーンとベルの代わりに、猟銃が火を噴いた。
それは平次の頬を掠め、背後の鏡が粉々に砕け散る。
「かわいい赤頭巾ちゃんを食べようとした狼がどうなるか、・・・知ってるよね?」
あかん。あの親父、目がマジや。
ひきつる口元を引き締めて、銃弾を入れ替える隙に出窓へと走った。
窓を突き破って、庭に転がり出る。
舌打ちを背に受けながら走り、とりあえずメイクルームから逃げ出すことには成功する。
しかし耳に尻尾をつけたまま外へと逃げる訳にも行かず、もう一度玄関をくぐる。
それに、やられっぱなしでいるのも、性に合わない。
「くどー!」
とりあえず現状を把握しようとリビングへと駆け込むと、当の本人はゆったりコーヒーブレイク中だった。
赤いマントが違和感なく存在している。
「どーいうこっちゃ!説明せえっ!ちゅーか、あれ実弾か?」
息を切らして叫ぶ平次を、うざったそうにふりかえる新一の口からは意外な一言が発せられた。
「一晩逃げ切ったら、きちんと認めるってよ。」
その言葉に、ピタリと平次の動きが止まる。
「敷地はこの屋敷内。あと、書庫には絶対に近寄るなよ。」
本が駄目になったら、わかってんだろうな。
言外に脅しをかけて、にっこりと笑いフードを被った。
「おばあさま、どうしてそんなに肌が黒いの?」
瞬間、新一の背後に飾られた絵が破裂音とともに砕ける。
爆風に飛ばされた砂塵をフードでいなし、新一は口元の笑みを深くして平次を横目で一瞥する。
平次の入ってきた入口とは反対側の扉から、優作の影が近づいてくる。
薬莢が床に転がる音が、やけに響いて平次の額から汗が流れた。
「その前にしとめてみせますよ。」
「優作、素敵!」
しなやかに腕を払い、優作がリビングへと登場する。
その後ろにふわりとスカートをなびかせて、小さく拍手しながら有希子も現れた。
何処まで本気か、いや何処までも本気なのか。
こっくり息を飲み込みながら、おそるおそる平次は工藤夫妻へ質問を投げた。
「一晩て、何時までですか?」
「夜は、朝が来るまでが夜だよ。」
時間指定なしかっ!
この時期の日の出時刻を思い出す。まだまだ先が長いことだけは確かだ。
「がんばってね、平次君。」
しかし、きちんと認めてくれるのだと言う。
それならば、命がけでもおかしくはないし―――惜しくもない。
「本気の父さんは、怖いぞ。まあ、がんばれよ。」
他人事のように、今度はこちらを見ようともせず新一はコーヒーに口をつける。
「ルール説明も終わったようだね。では、再開といこうか。」
優作はすうっと目を細めると、照準を合わせようと銃を構えた。
ちくしょう、覚えてろ工藤。
後で絶対、食ってやる!
平次はそう心で叫ぶと、忍び寄るおどろおどろしい気配にまた走り出した。
秋の長夜は、まだ始まったばかり。
ハロウィンになりませんでした・・・。あれ?狼男と吸血鬼のえちの予定は何処に?
strong anchoring1
strong anchoring2
strong anchoring 3
*strong anchoring 4
*strong anchoring 5 の続きです。
これで終わりです。長らくおつきあいくださってありがとうございます。
平次・・・かっこよくなりませんでした・・・。
反動で、とにかくかっこいい平次が書きたくて仕方ないです。
strong anchoring1
strong anchoring2
strong anchoring 3
*strong anchoring 4 の続きです。
※本日 朝9時アップ分には前半部が欠けていたため、修正しました。
※いや、本当にもう、申し訳ございません。
大幅加筆修正、10/22 1:47アップです。途中が大幅に抜けていました。
平次を喘がせるシーンがまるまる抜け落ちてました。本当にすみません!
strong anchoring
↓
strong anchoring side新一 の続きです。
長くなったので、タイトルに数字を入れました。
「甘いもんが食いてえ。」
「コンビニ行くか。」
よいしょと、親父臭い掛け声でソファから平次が立ち上がる。
「一緒に行くか?車出してもええよ?」
「むー・・・・。」
しばし唸るも、転がったままふるふると首を振り否定する。
「へえへえ。なら適当に買ってくるわ。」
新一に背を向け、でかけようと上着とバイクのキーをとりに平次は部屋を出ようとした時。
「おい。」
呼び止められて振り向くと、新一が手招きしている。
「なんや?」
転がったままの彼に屈みこんで用件を聞こうとすれば、ぐいと胸倉を掴まれた。
そのまま唇を重ねられ、バランスを崩した平次は新一の上へ倒れこむ。
体重をかけないよう腕で体を支えたが、密接した体温が秋夜の空気を温もらせた。
「・・・だから、甘いもんが食いてえって、」
「ん。」
わかったと微笑んで、そのまま彼を抱きしめる。
ああ、と、甘い吐息がこぼれ、それを唇で拾うように平次は新一に口付けた。
工藤くんが壊れています、平次もちょっとナーバスです。
このサイトのお話としては、毛色が違います。薄暗いです。
しかも終わりませんでした。後半は今週中にアップ予定です。
それでもOKな方は、右下の つづきはこちら から、どうぞ。
珍しく居間でテレビを見ながら茶をすすっていた平次が、ふと思いついたように口を開いた。
「おかん、もーじき40やろ?」
「女に歳を尋ねるもんやないの。」
「もう一人くらい産まへんの?」
「は?」
「子供。」
畳む手を止めて、静華は平次の方へ体を向ける。
小さい頃にはよく弟が欲しいと喚いていたが、それとは明らかに違うニュアンスに不信感も露わだ。
「・・・なんで、そないな話になるのか。訳をききましょか?」
「いや、その、もし俺がこの家継げんようになったらあかん思うて。」
いつ死ぬかわからんし、刑事もならんかもしれんし、
ごにょごにょと口の中で呟く息子へ、静華は立ち上がるとすたすたと歩いて近づいた。
おもむろに拳を振り上げ、ほけっと見上げる息子の頭上へがつんと振り下ろす。
あまりの痛みと衝撃に、平次は涙目で痛む頭を押さえ卓上へつっぷした。
「信じられん・・・!実の息子グーで殴る母親がどこにおる?」
「ここにおるわ!信じられんのわこっちの方や!」
静華の声にこもる感情が、真剣さと怒りを同時にはらんでいて、
ようやく平次は静華が本気で怒っていることを悟った。
続く言葉を覚悟して、平次は居住まいを正した。
しかし。
「ずいぶん親、見くびってくれたもんや。」
「・・・へ?」
「こんな家、お前の足枷になるんならいっくらでもつぶしたるわ。」
低い声で続けられた言葉は、平次の想像していたものとは違っていた。
「例えばや、外国に永住するにしろ独り身貫くにしろ、この家や土地の所有権放棄するにしろ、あんたは紛れもなくうちらの、服部の一人息子や。」
「あ、いや、でも、」
平次が知るかぎり、この家の歴史は浅くない。
庭に立つ木ですら、樹齢を100年超えているものもあるのだ。
うろたえる平次の言葉をピシリと切り、見下ろす彼女の目が、平次を真っ直ぐに射抜く。
「あんたしか受け継ぐもんはおらん。あんたがいらんいうなら、売ろうが手放そうが好きにしい。」
言葉も出せないまま、平次はこくりとうなづいた。
「だいたい、自分ができへんからって人にまかせようっちゅう魂胆も気に食わんわ。」
ぶちっと呟くと、静華はくるりと平次に背を向けてもといた場所へ座る。
畳み掛けの洗濯物を手に取り、何事もなかったかのように主婦業の続きを始めた。
しばらく居心地が悪そうに俯いていた平次が、もそりと顔を上げる。
きちりと正座をしなおして静華に体を向けると、少し深めに頭を下げた。
「ごめんなさい。」
「わかればええ。」
何事もなかったように、いつもの景色へと立ち戻る部屋。
平次はがしがしと頭を掻いて、立ち上がる。
「ちょっと、走ってくる。」
「夕飯までには帰り。」
「ん。」
出て行った障子越しに、平次は勝てへんなぁとため息混じりに呟いた。
「うわ、納豆。」
「人んちの朝食に文句言うな。」
「せやけど工藤・・・納豆やで?」
「俺は好きなんだ。朝ごはんは納豆と味噌汁。」
「・・・でも、納豆・・・。」
「だー!うるせえな。文句いわずに食え。」
「・・・・そういえば、キムチあったな。」
「お前が買ってきたやつか?」
「おお、これこれ。」
「・・・混ぜるのか?」
「匂いが消えるからなー。ほい。」
「俺に混ぜて食えってか。」
「けっこう美味いらしいよ?ほんまに匂い消えるし。」
「朝からキムチの匂いさせるほうがどうかと思うぞ?」
* * * * * * *
「結局、納豆食わなかったな。」
「・・・いや、マジで勘弁してください。」
「お前の分もわざわざ買ってきたんだぞ?」
(嫌がらせやろ・・・)
「何か言ったか?」
「いやいやいや。」
「食いもんを粗末にするヤツは出入り禁止。」
「なんで?工藤が食べればええやん!」
「俺は一日1パック。明日で賞味期限切れるし。」
「うー・・・、・・・そうや!食えばええんやな?」
「・・・?おう。」
「ほんなら台所借りるでー♪」
「ああ。・・・って、何鍋に湯を沸かしてんだ。」
「この間教えてもろうたんやー。野菜は適当に使ってもええ?」
「ああ。あ、茄子だけは使うな。あれは明日焼いて食う。」
「へえへえ。ほんじゃ、玉葱と・・・お、麹味噌あるやん。ラッキー。」
「ほんだし、玉葱、麹味噌?何作る気だ?」
「キムチもなー、いれるでー。」
「うげっ!納豆いれんのか!そこに?!」
「キムチと一緒に買ってきたコチジャンも投入~♪」
「鳥肌たってきた・・・ちゃんと食えるのか、それ?」
「まあまあ、食ってみい。」
「あれ?これ食ったことあるぞ・・・?」
「韓国料理のテンジャン。鶴橋で事件あったときに仲良うなったおばちゃんから聞いたんやー。」
「美味いもん食えたからいいけど、何しても嫌がらせになんねーな・・・。」
「・・・・・・工藤はん?」
テンジャンとは韓国の辛い味噌汁みたいなもんです。
材料はほんだし、味噌、コチジャン、納豆、適当な野菜。好みでキムチ。
味噌汁作る要領で全部ほおりこめば完成。つーか味噌汁にコチジャンぶちこむだけというか。
お湯を沸かす→ほんだし投入→野菜等投入→納豆投入→味噌投入→コチジャンで味を調えて→一煮立ちさせて完成。好みで青唐辛子を加えても美味。味噌はコウジがオススメ。味噌汁なのに煮立たせるのです。
捻ったか、ヒビがはいったか、どちらかはわからないが走るにはちょっとばかりつらそうだ。
さすがに2階から飛び降りたのは無謀だったか。
少しだけ後悔しつつも、そうでなければ今頃この心臓は動いていないだろう。
灰色の街角、薄暗い闇をぼんやりとネオンが照らす。
店と店の間にある狭い路地から空を見上げれば、
薄い雲の隙間から、丸い月が見えた。
やけに明るく、やけにその存在を主張する、月。
そうか。今夜は。
こういうイベントにうるさいあいつから電話がないところをみると、
きっとヤツも事件に巻き込まれているのだろう。
舌打ちでもしながら、夜空を睨んでいるのかもしれない。
くくく、と喉を鳴らす。
ぶーたれたヤツの顔が浮かんだ。
あーいうところ、俺にはない。かわいいよな。
ひとしきり笑って、認めたくないが思い出した笑顔で少し元気が戻る。
「・・・っ。」
いつまでもここで隠れているわけにはいかない。
証拠品を握る俺を、ヤツラは見逃しなどしないだろう。
無理やり気力で立ち上がると、逃亡ルートを算段する。
警察への連絡はした。
後ほんの少し、逃げ切れば俺の勝ち。
片足をひきずるようにして、歩き出した。
平次は咄嗟に横へ飛んだが間に合わなかった。
あっけないほど軽い音とともに、腹部に熱い熱を感じた。
経験或る痛み。
勢いをつけたままの姿勢で地面へ倒れこんだ。
痛みの強さに両の手が土を握る。
「形勢逆転や。ガキが大人の領域に踏み込むもんやないで!」
ガナリ声とともに積み上げられた運搬パレットの影から男が姿を現した。
倒れ付す平次にトドメをさそうというのか、銃を握り締めたまま近づき、
痛みにのたうつ平次の左手を革靴で踏みつける。
低く呻き声があがるのを聞いて、男はすう、と冷たい笑みを浮かべた。
「人質にしてもよかったが、・・・ちょいとオイタが過ぎたな。」
銃口を平次の頭へと向ける。
「親父に比べるとツメが甘いわ。まあ、本部長のとこに指くらい送っといたる。・・・死ねや。」
カチリと撃鉄を起こす音。
「甘いんわ、おっさんの方や」
語尾を言い終える前に男の目をめがけて握り締めた砂を散らす。
不意をつかれ、よろめいた隙をのがさず平次は立ち上がりざま男へと脚払いを掛ける。
男はしりもちをついたがすぐさま体勢を整えて銃を向けた。
しかし、その銃を新一直伝の蹴りで平次は闇へと飛ばし、その勢いのまま男の胸を踏みつける。
「これがホンマの形勢逆転ちゅーやっちゃ。」
月光を背に、平次は不敵な笑みを浮かべて男を見下ろした。
その頬に、サイレンの音とともに赤いライトが反射する。
数台のパトカーが甲高いブレーキ音をあげて現場へと横付けされた。
バタバタと扉が開き、中から刑事や警官が飛び出して平次のもとへと走りこんで来る。
その中でもとりわけごつい体躯の持ち主が、顔に焦りを浮かべつつ一番に平次とかけよった。
続いた警官たちは平次の下に倒れる男の腕を掴み、手錠を掛ける。
「平ちゃん!」
「大滝はん、遅いでー・・・」
ぐらり、平次の体が揺れた。気を失い、ふらりと倒れこむ体を大滝が受け止める。
「平ちゃん!」
受け止めた大滝の手に、べとりと濡れるものがある。
「誰か、はよう救急車!」
青ざめた顔で叫ぶ大滝の声が、夜に響く。
――――気づいたとき、平次は山の中にいた。
(ああ、この景色は)
工藤と一緒に見た、あの花の。
眼前に広がる無数の彼岸花。
艶やかな真紅に飲み込まれそうな程。
ただ、あの景色を見せたかっただけなのに、背中のぬくもりに欲が出た。
その欲を押しとどめたくて景色へと意識を集中させていたのに、
その目を、間近で見たらもうダメだった。
体の奥から、暗く滾る焔が喉を焼く。
「なあ。」
「―――言うな。」
ぴしゃりと閉ざされた、言葉の先。
自分の気持ちが知られていたことも、それを彼が受け入れがたいことも、
そんな事実よりもなお、言葉を押しとどめたもの。
なんで、お前が泣きそうな顔するん?
壊れた時計のように、時を刻まぬままその光景は姿をとどめる。
上着の革に爪が食い込むほどの強さで掴まれた肩が熱い。
まるで、揺れる自分を必死に抑えているかのように見える。
それは彼を欲しがる自分の、哀れな思い込みかもしれないけれど。
拳を握り、彼の表情に欲張る腕を戒める。
今ならまだ、隣にいることを許されるだろう。
一番近いところで、魂の傍らで、・・・これ以上踏み込みさえしなければ。
――― 彼が望むように。
「・・・そうか。」
ふ、と自嘲が零れる。
何を犠牲にしても、それだけは失うことができない。
心臓に杭を打つように、この思いを閉じ込める。
「そうやな。」
振り切るように、目の前の景色へと視線を戻した。
視線の端に震える彼の手が映ったが、あえて気づかぬ振りをして。
抱きしめてまえばよかったんやろか。
ためらいを全部蹴り飛ばして、あのまま工藤を抱きしめて全部を攫って。
俺に向けるあからさまだが無自覚な好意を、この腕に曝け出させてしまえば
奴の手の震えを止めることができたんとちゃうか?
戻らないと、と感じた途端、足元の花がずぞぞぞと引き潮のように彼方へと消えていく。
砂に裸足で立つような、心許ない感覚にうろたえつつもかの花の行方を眼で追う。
暗闇に覆われた空間で、ぽつりライトで照らされるように自分から離れた場所にまた花が咲く。
ゆうらり、手招きをするように群集で揺れる。
蟲惑的な、赤い手。
反射的に追いかけようと脚を出すが、感じた肩の痛みにたたらを踏む。
熱い。
ぎゅうと掴まれている感覚。
振り返ろうとしたができない。
誰かが自分の肩を掴んでいる。
あの時の彼のように。
いや、この感触は―――紛れもなく。
名前を叫ぼうとして、途端ぐわりと体が闇から引き上げられた。
なんで、とか思わんでもないけど。
意識が戻って3日目。
工藤が見舞いに来た。
初日は大賑わいやった。
おとんもおかんも親類も大滝はんはじめとする警察のおっちゃんらも、
みんな目の端に涙浮かべて、よかったよかったと連呼しては
病院関係者らに静かにせえと怒鳴られていた。
内臓まで弾がいってまったそうで、本当に危ない状態やったと繰り返し繰り返し怒られた。
和葉は泣きっぱなしだったし、落ち着いてきたら落ち着いてきたで怒鳴られるし。
なんでか傍に毛利のねーちゃんもおって、
聞くと和葉が電話をかけたらしく、心配して来てくれたらしい。
工藤は手が離せない事件があるとかで、一応意識が戻ったことは知らせてくれたとのこと。
まあ、工藤やし?来るかどうかもわからへんけど。
そんな考えが読まれていたか、見舞い客の途切れた時間帯。
憮然とした表情で彼は病室に入ってきた。
溢れかえる差し入れや花を、一瞬睨みつけたかと思うとするりと猫のようにベッドの傍らへとすべりこみ、
寝転がった姿勢の俺を見下ろす。
「頭は無事か?」
しょっぱながそれかい!
突っ込みたいが、それをぐっと抑える。
「頭どころか全身ピンシャンしとるわい。」
「ふうん。」
肩をぐっと掴まれた。感覚のデジャブ。
「あ。」
それに気をとられた隙に、耳朶を掴まれてぎゅーと引っ張られた。
「イっ」
痛みに抗議する間もなく、耳の下の首筋をがぶりと噛まれる。
びくっと体がすくんだのを見て、工藤が小気味よく笑った。
その表情があんまりにも綺麗で見惚れたのと、
工藤の行動への言葉にならないくらい驚きで、呆然としたまま首筋へ手を当てた。
リアルな温度と、残る歯型を掌で辿る。
「とっとと治して、続きしてみろ。」
呆れるほど鮮やかな笑顔を残して、病室の扉は閉じられた。
平次は咄嗟に追いかけようとして、全身を奔る激痛に叫ぶ。
廊下を歩く新一の肩が、その声を聞いて楽しげに揺れた。
中秋の名月に更新なしなんてありえないー!とがんばって更新。彼岸花平次サイド。
後悔・・・。3時に起きてがんばったけど、難産でした。さ、今から旦那さんのお弁当作ろうっと。
マスコミはこぞって、現代の敵討ちを報道で取り上げた。
おおむね好意的な意見が往来する中、辛口のコメンテーターは彼らの心中を察する振りして、
偽善を振りかざした意見をとうとうと電波に乗せた。
加害者の情報はいつも厳重に隠される。
しかし被害者の情報にはずさんなほどで、だらだら漏洩されては人々の涙を誘うべく垂れ流されていく。
彼らは加害者であったが、被害者でもあった。
それは情報面でも、そう。
そこへ、煌びやかに登場する若き名探偵。
彼がカメラの前で得意げに推理を語る姿に、人々の非難は集中した。
敵討ちを邪魔してまでも、その名声を得たいのかと。
それこそ加害者になった家族のコメントを流す暇も与えぬほど、鮮やかに辛らつに彼は語る。
番組の司会者たちは口元を歪めながら、まるで国民の代表者であるように
彼の言葉のあげ足をとりつつ、彼へと非難の言葉を浴びせる。
若い人間を中心とした彼のファンは、その登場を待ち望んでいたし、
自分たちもまた彼の批判者となりたいのだ。
マイクを向けられて、彼について尋ねられれば、えー、と甲高い声をあげながらも我も我も答えたがる。
ひどいよねー、うんうん、でもさー言ってることにも納得できるけどー、
でもやっぱ、もうちょっとねえ?あーでもホラ顔はいいじゃん、だからいいよ、
あいつサイテー、人の情ってもんを知ってほしい、
もっと、ねえ?
実際に彼が登場すれば面白いほどに数字が取れた。テレビ局がほおっておくはずもない。
しばらく朝をにぎわす顔となった男は、その騒ぎが落ち着いた頃に
追いかけてくる取材陣を父親譲りの逃走術で煙に巻いた。
その裏で、彼の相棒というべきもう一人の探偵がその光に隠れるよう静かに潜行する。
静かな朝だ。
まだ薄暗く、雀の囀りと時折新聞配達のカブの排気音が聞こえてくる程度。
眠らぬのか毎夜電気が煌々とつけられたままの、家。
換気さえろくに行われなくなった窓は、今なお、ぴったりと厚手のカーテンが閉められている。
3日ほど前までは、取材陣が幾重にも列を成してこの家を取り囲んでいた。
すでにひととおりの取材を終えたらしく、その姿は嘘のように消えてしばらく。
近所の住人もようやく息をついた頃。
周囲を見回しながら、数人の男がだらりと歩いてきた。
酒を飲んでいたのだろう、目元が赤く視線はゆるい。
足元をふらりとさせているが、これは酔いによるものではなさげだ。
もともとが全員、蟹股でフラフラ歩いているのだろう。繁華街でよく見る光景だ。
何故だと自問自答しつつも数年ぶりに筆をとる。
