事件を終えて、うんと伸びをすると前を歩いていた男がにっかり笑って振り返った。
「やっぱ工藤やな。」
帽子のつばを手で掴んでくるりと返し、いつものように後ろ向きに被り直す。
事件が終わったということを告げるそれに、何故か笑いが零れた。
拳を突き出すと、心得たように平次も相対する拳を出してこつんと合わせる。
同時に軽く噴出して、二人して目の前の景色を眺めた。
朝日に煌く海が広がっていた。強い向かい風に髪がなびく。
眩しそうに目を細めて、水平線の彼方に意識を向けている横顔をちらとのぞく。
すぐに視線に気がついて、新一へとまた笑顔を見せた。
先程と違う少し苦いその笑みを見た時、何かが弾けて体を突き抜けるような感覚。
少しの間、立ったまま呆然としてしまう。
「雷?」
いやまて、空は晴天。
「…静電気?」
何にも触ってねえよな。
やけに記憶に残る、その表情だけが繰り返し浮かんで心に張り付いてしまうよう。
ぶちぶち呟く新一に、不審に思ったかずかずかと平次が近づいてきて顔を覗き込んだ。
「何いうてんのや、お前。」
「いや・・・なんでもねえ。」
何故か視線が合わせられない。
事件は終わったばかりだというのに、難しい謎が増えたようだ。
喉がひりひりとする。
肺が音を立てそうなまでに、空気が固形のように気管支を抉る。
布団を掴んで口元を覆い声を殺した。
肩を大きく揺らしながら痛みを耐える。
苦しい。
けれど今までの苦しみに比べれば、こんな物質的な痛みなど耐えるに容易い。
ぎゅうと胸を拳で押さえた。
……意識が遠のきそう。
ふと視線を動かせば、カーテンが閉められていない窓が見えた。
それはカーテンが必要でない時間から自分が眠っていたことを知らせている。
冷たい空気で透明に揺れる星が、いつかの夜のことを思い出させた。
流星群が降るのだと、光彦がいつものように薀蓄を語りだす。
歩美が歓声をあげて話に興が乗り、元太が騒ぎ出せば事は簡単。
うんざりする顔を隠しもしないコナンが止めるのも構わず、
少年探偵団の出動と盛り上がり、一堂は我先にと阿笠邸へ向かい―――
彼の小さな車にぎっしりと子供たちと荷物を載せて、
星がきれいに見えるキャンプ場へと出発することとなった。
唯一の大人としてかいがいしく働く阿笠はキャンプ場へ着くと同時にテントを張り、不器用なながらも慣れた手つきで火を起こす。
子供たちは手伝いながら、けれど遊ぶことにも意識が飛んでそわそわと気もそぞろ。
そんな彼らをコナンが注意し、哀がぼそりと囁くように追い討ちをかけて、また少年探偵団は持ち場へと戻る。
準備が整う頃にはすっかり周囲は暗くなって、インスタントの早めの食事を終えた皆が食後のコーヒーならぬ食後のスープの時間と、焚火をかこんだ。
「きれいなものをたくさん見て、心の中にたくさんしまっておくんじゃよ。」
沸かした湯でインスタントのコーンスープを作り、皆に配りながら彼は言った。
「きれいなものって何?お星様?」
スープの熱さを、ふうふうと息で冷ましながら歩美が訊ねる。
「星もそうじゃが、花や、空や、鳥、そうじゃな…友達や学校。」
最後に自分のカップに湯を注ぐと、どこか淋しそうな目になってから呟くように続けた。
「それから、優しい気持ちも」
この温かいスープがじんわりと胸に染みていくように、きれいなものを見た思い出もきちんと自分の中に染みていくのだと、笑って。
――――きれいなものなんて、今更。
おかしさがこみあげて、布団の中で苦く笑う。
まるで走馬灯ね。思い出が駆けていく。
混濁する意識に嫌な汗が頬を伝う。
ああ、でも。嘘のよう。
まるで普通の子供みたいに、こんなかわいい思い出に囲まれるなんて。
あの頃に戻れたような錯覚に、口元が緩む。
その拍子にまた激しく咳き込んで、体を深く折り曲げてやりすごそうとする。
立て続けの咳に喉が切れたか、口の中に鉄の味が広がった。
「おねえちゃん・・・」
無意識に呟いた言葉は、己の中の淋しさを抉り出す。
今はもういない、自分を闇から救うためにその命を組織によって奪われたたった一人の肉親。
伸ばす先のないこの腕を縛るよう、己の体をきつく抱きしめて目を閉じた。
薬の影響はじわじわと体を蝕んでいく。
抵抗力がひどく落ちて、ただの風邪にこれほどのダメージを受ける。
ぐ、と唇を噛んだ。
寒いのは冬だから、震えるのは熱があるから。
大丈夫。
そう大丈夫、ただの風邪。
しぬことだってもうこわくないはず。だれもいないんだから。
「…結構弱いわね。」
言葉にしておかないと、いけないなんて。
自嘲すれば、また咳いた。
息をつくと同時に、扉がノックされる。
「目が覚めたかね?」
開いた扉からはこの家の主である阿笠が顔を出した。
その両手に乗せられたトレイには、ふんわりと湯気のたつ温かいミルクティーがひとつ。
何故か声が出なくて、こくりと頷くことで返事を返す。
阿笠はにこにこと笑顔を浮かべながら近づくと、ベッドサイドテーブルにトレイを置いた。
熱を測るのか大きな掌が額を覆う。
太くかさついた指の感触が、ひどく優しくて涙が出そう。
「熱は下がったようじゃな。」
おひとよしを絵に描いたような顔で嬉しそうに頷き、起き上がろうとする自分の体をそっと支えた。
見ず知らずの縁もゆかりもない少女を迎え入れた初老の風体を持つ男は、
待遇に不信感を持つ少女の視線に、「あたりまえのことじゃろう?」と不思議そうに笑った。
それが薬を開発するに見合う待遇かと思ったのは最初だけで、
彼自身は本当に困っている少女を助けることについて述べたのだと、すぐ知ることとなる。
そして自分を見た目通りの年齢、まるで普通の子供のように扱った。
本当の年齢など知らないけれど、どっちにしても自分にとっては子供か孫のような年齢だろうと言って。
「ありがとう」
囁くようにお礼を告げて、渡されたカップを両手で受け取る。
温かいそれは裂けた喉に染みるけれど、胸に届く頃にはただ心地よいだけ。
「腹が減っておるじゃろう。お粥を煮たから、もう少ししたらまた持ってくるからの。」
「いらないわ。」
顔はカップに残るミルクティーを見つめたままの自分を気にする様子もなく、彼はまた小さな頭をぽんぽんと二回軽く叩いて部屋を出て行った。
扉が閉じる音を聞いても、しばらく飲み残したカップの底を見つめながらぼんやりとしてしまう。
表裏のない優しさは心が本当に強くなければできないことで、生活をともにしていく中でそのことをあらためて知ることも多くあった。
こんなときもそう。
冷たい水でなく温かい飲み物を持ってきたのは、きっと弱っている自分を少しでも力付けようとする不器用な優しさ。
工藤くんが懐くのも当然ね。
ことりとトレイにカップを置いて、ベッドに座ったまま再び窓の外を眺めた。
あの日見た星は、今は見えない。
けれど、残っている。温かいミルクティーのように、この体に。
ためらいなく髪を撫でる、あの指の感触とともに。
「……おねえちゃん。」
罪も同じく、この胸に残るけれど。
胃を突き上げる衝動、また激しく咳いた。
はずみでトレイに腕がぶつかり、カーペットに染みを撒いて落ちたカップが割れる。
扉の向こうで慌てて階段を駆け上る音がして、優しい人がじきにこの部屋に来るだろう。
ただいまとランドセルを背負った私が玄関を開ける都度、安堵する表情を見せていた心配性。
失敗した料理を、二人で眉をしかめながら飲み込んだ数日前の夜。
研究に没頭する夜中、コーヒーをいれたときひどく驚いた顔をして、それからすぐに嬉しそうに笑ったこと。
「大丈夫か!哀くん!」
あの日の星は、きれいなものは。
唇の端についた血を指で拭って、強気に笑って彼を見た。
ああ、もう少しだけ。
行くな、と腕を引くような真似など新一にできるはずもなく、
扉を開くと同時に囁かれるおやすみという言葉に、適当に返事を返すだけ。
大阪と東京はけして近い距離ではない。
まして、互いに学生と探偵という二つの業務を掛け持つ身だ。
こうして二人でいる時間は、貴重なものだと思うのに。
今夜もそう。
抱き合って腕に蕩け、眩暈のするような幸福感の中でまた背を掻き抱く。
睦言を交わし、口付けを交わし、…そして終焉。
彼の肌が離れるとき、部屋がひどく寒く感じる。
それを平次も感じているのだろう、いつも最後に交わす唇はゆっくりと名残惜しげに離れていく。
けれど、今彼は背を向けてシャツを羽織っている。
しゅるりと衣擦れの音が静かな夜にこだまするよう。
同時にきれいに隆起する筋肉が隠されていく。
(もう少し見ていたいのに。惜しいな。)
先ほどまで求める感情のまま触れていた背中。
もし今そこに手を伸ばして、傍にいろと強請れば。
「おやすみ」
けれどもう着替えを終えて、平次はすでに扉の前。
いつものように声をかけられて、新一は悟られぬ程度に唇を噛み締める。
「おう。」
努めて冷静に応答し、寝返りを装ってごろりと平次に背を向けた。
なるべく音を立てぬようにして、平次は扉を閉めた。
つい先程まで腕の中にいた彼は、この壁の向こうでじきに眠りにつくだろう。
己の中にある感情の滾りを捧げるようにして抱いて、好きという言葉のまま唇を肌に滑らせた。
勝気に笑いながら俺の背に腕をまわし、うっとりとした吐息に脳の奥まで濡れる。
部屋を出るときに見せる淋しげな瞳の色は、自分のうぬぼれではないと思う。
重い足取りで長い廊下を歩く。
客間までのほんの僅かな距離、けれどそれは未練を引きずる己には後悔を過ぎらせるに十分すぎるものだ。
はあ、と溜息をついて、思わず足を止める。そして扉を閉めた右手を見つめた。
冷たい金属のノブの感触が残るそれをぐっと握り締めて、再び足を動かす。
――――溺れるわけにはいかない。
己の弱さを知っているからこそ、離れて眠る必要がある。
飽くことのない逢瀬、肌の境界すらも揺らぐほどの恍惚、言葉の応酬だけでさえ指先にまで心地よさが届く。
本当は離れたくない、傍にいたい、ともにある幸福にまみれて抱き合い、互いの知識や情報を語り合いたい。
無論最初のうちは、共存する1秒すら惜しく片時も彼から離れることができなかった。
夜通し彼の体を抱きしめて眠り、朝もその体をシーツに縫いとめて、結局部屋を出ることさえしなかった日もあった。
口では罵りながらも、彼は平次の隣で猫のように転がっていたままであったから、気持ちは一緒だったのだろう。事件だと電話で呼び出されるまで、じゃれるようにしてベッドに縺れていた。
しかし、なんだかんだといいながらも淋しがりなだけで、工藤は冷静だ。
時折、思いもかけぬほどの感情の奔流を見せることはあるものの、それは彼の持つ情熱的な一面。
けれど自分は―――。
ようやくたどり着いた客間の扉を開けて、用意されたベッドへと腰掛ける。
新一が用意してくれたであろう部屋は、昼間に風を通してくれておいたおかげか埃くささは感じない。
掛け布団をぽんぽんと軽く叩いて彼の心遣いに感謝しながら、こうした彼の行動一つ一つが愛しくてならない。
眉間に皺を寄せつつも掃除をしてくれただろう姿が浮かんで、そのカワイさに微笑が抑えられない。
けれど、それはすぐに苦いものへと変っていった。
工藤新一に関して、平次は感情のコントロールが効き難い。
彼に近づく人間全てに敵意を持ち、嫉妬に狂うまま彼を腕に閉じ込めて抱き潰してしまいたくなる。
劣情と呼ぶに相応しい感情の波にさらわれ、冷静さを欠いてしまえば探偵になりきれない。
ただの未熟な男では、彼の横に並び立つことなどできやしない。
恋人になった人間と長く一緒にいるということは、実は容易ではない。
むしろ他人や友人であるほうが、共に過ごすことでは楽なのだろう。
気持ちが深くなればなるほど、一緒にいつづけるということは難しいことなのだ。
まして自分たちは男で、鎹となる子供はできない。
ならば己を律し、長く―― いや、一生 ――― 傍にいられるように努力することは必要なのだと思う。
眠りから覚めて腕の中に彼がいれば離して起き上がることはとても難しいから、こうして客間へと戻る。
弱い自分を叱咤しながら、朝を迎えて大阪へ帰る。
彼を壊さぬように、自分を壊さぬように。
視線を動かして、新一の部屋のある方向を見つめた。
彼の意識もこちらに向いているだろうことを感じながら、平次はいつものようにその気配が緩むまで壁を見つめ続けた。
つと目的地である前方の教室、開かれたままの扉から友人たちの声が聞こえてきた。
答える声は、今待たせている相手、平次だ。
数人の女子に囲まれて、眉間に皺を寄せている光景が目に浮かぶ。
女子に囲まれているのは珍しい光景ではないが、それが自分の友人たちとなれば自分について責められている可能性が高い。
早めに助けてやったほうがいいだろう、と駆け出そうとすると同時にその足を止める名前が耳に届く。
「だからさー、その工藤ってのがね?」
「そうやー、この間もそいつからの電話で授業サボったやろ?」
「和葉かわいそうやん。」
「あの後淋しそうにしとったから、うちらみんなでマクドに行って慰めたんやで!」
その内容に教室に入るタイミングを失い、思わず扉の外側に張り付くようにして隠れる。
まるで盗み聞きでもしているかのよう。ワルイコトをしているみたいに、少しだけ後ろめたい感じがする。
ちらと中を見やれば、口々に騒ぎ立てる甲高い声の波に閉口したか、平次は耳を塞ぎ眉間の皺を深くする。
「だーっもうやっかましいなっ!困ってるのがいれば助けにいくのが人情ってもんやろが」
「そんなん、和葉かて困ってたわ。」
「いつものこというても、先生に必死にフォローしとったんやでっ!」
そのうちの一人が、ずいと平次の前に歩み出て人差し指を彼めがけて突き出した。
「この際はっきりして欲しいわ、和葉と工藤ってのと、どっち選ぶん?」
「はあ?」
どういう理屈でそうなんねん、と首をひねる平次にもう一人がつめよる。
「どういうことって・・・そーね、例えばよ?」
最初に詰め寄った友人が、顎に手を添えながら少し考えて話し出す。
「和葉と工藤ってのが同時に崖に落ちそうになってるの、どっちを先に助ける?」
「そりゃ和葉やろ。」
間髪いれず答えた平次に、友人たちがきゃあとざわめく。
和葉自身、思わず制服の胸元をぎゅうと握り締めた。頬が赤くなるのが自分でもわかる。
「やっぱり和葉のが大事なんじゃない!」
「たとえ話だけじゃなく、ちゃんと大事にしてやってえな。」
ばしばしと肩や背中を数人に同時に叩かれてさすがにむかついたのか、平次はそれらの手を少し乱暴に払う。
「ちょお待て、なんでこんだけの話でそないな結論になるねん。」
「だって、こういう質問では先の人を助けたら後の人は落ちちゃうのがセオリーよ?」
「はあ?」
顎が抜けそうなほど大きな口を開いて、平次は呆れた表情を隠そうともせずうろんに彼女らを見やる。
しかし、そんな平次の様子は気付かず、盛り上がった女子パワーは衰えすら見せない。
「ねー?」
「うんうん。」
「先に助けるってことは、その人のことのほうが大事だってことでしょ?」
「アホウ。これは確率の問題や。体力の差、根性の差で先に和葉を助けた方が効率がええから和葉や言うただけで」
「またまた照れてーっ!」
満足のいく返答をもらったせいか、もうこれ以上平次の回答を聞くつもりはないらしい。
「あたし和葉にメールしちゃお♪」
「あ、待って。今日は確かデートやんかお二人さんは!」
そうやったわー、ごめんねーあついわーなどと囃し立てながら、華やぐ声の波が扉に近づいてくる気配を感じて、和葉は反射的に廊下の曲がり角まですばやく走り身を隠した。
反響しつつも、遠ざかる声にそおっと顔を出して彼女らの姿が階段へと消えたことを確認する。
先日の詫びに、今日はおいしいお好み焼きを奢れと約束をこぎつけたのだ。
こんな会話を聞いてしまえば、ちょっと自分でも正直色んな感情が盛り上がってしまう。
ドキドキと高鳴る鼓動、チャンスかもしれへん、と舞い上がりそうな気持ちを抑えて教室へ向かう。
扉はまだ開けられたままで、和葉がそっと入室したことに平次はまだ気付いていないようだ。
机に腰掛けながら窓の外を見ていたから、脅かしてやろうかと、にんまり笑いながら気配を消して近づいていく。
「あいつは、絶対にあきらめへん。何が何でも全員が助かる道を、必ず最後まで探し出して実行するはずや。」
ぽつりと呟かれたその言葉は、和葉の足を止めるに十分すぎる効力を持つ。
ふいに平次の手の甲を見てしまった。
今はもう痕など残っていないが、そこには自分が見せられる最上の思いをこめた傷があったはずだ
そして息をのむ。
彼が、自分を先に助けることを選んだ理由に。
平次が後ろに立つ自分に気がついて乱暴な軽口を叩くまで、そのわずかな時間、和葉は説明のしようがない無力感に立ち尽くした。
冷たくなった指先を口元へ宛てて吐く息で暖めようとしたが、
白く濁る呼吸はほんのわずかだけの温もりを戻すのみ。
―――先ほどまで傍らで立っていた男のようにはいかないようだ。
あいつが傍にいただけで、あんなにもぬくぬくと芯から温かかったのに。
きゅっと拳を握って、先ほどまでいた駅を振り返った。
見上げた階段は灰色のコンクリートが寒さを強調し、白くちらつく雪が濡らして黒い染みになる。
寒いし面倒だから見送りはしないと告げて、こっそり彼の乗る新幹線の発車10分後に東京駅へと到着した。
平日の深夜。人のまばらなホーム。
コートの襟を立てて歩くサラリーマンが足早に新一を追い越していった。
何もない線路の果てを追うように雪が走る。
取り残された沈黙が、じくじくと指先から滲むようだった。
もうここにはいない。
もうここにはいない。
心の中で何度も呟いて現実を呼び覚まし、今はもう夢のような1時間ほど前までの時間を己から追い出していく。
いっそ今から大阪まで、新幹線に乗ってしまおうか。
彼の痕跡を僅かでも辿れば、この苦しさが少しはましになるだろうか。
ふ、と笑みがこぼれた。
馬鹿な自分を嘲りたいのに、その笑みはひどく苦く・・・優しいのがわかる。
久しぶりに見ることのできた彼の変らぬ鮮やかな笑顔は、
告げることのない思いをこの身に沈めると誓うに十分なものであったのに、
どうして今、気持ちが溢れてくるのだろう。
岐路につく足を踏み出せず、降りが強くなっていく雪の中でただ祈るように繰り返す。
「もう、ここにはいないから。」
淋しくて凍えても、きっとそれが当たりまえのことなんだろう。
ソファに座る平次の前に、新一は立った。
身がすくむようだ。震えてしまいそうな己を背筋を伸ばすことでごまかした。
そんな彼に平次はゆっくりと腕を伸ばした。
覚悟を決めたように、きゅっと唇を噛んでその腕を受け入れる。
褐色の腕は細い新一の腰を囲んで、刹那その動きを止めた。
けれど次の瞬間、痛いほどぎゅうと抱きしめる。
鳩尾に頬を押し付けて、ただただ平次は新一を抱きしめた。
新一の視界からでは平次の表情を伺うことはできない。
けれども、笑っているのではないだろうことはすぐに見てとれた。
白いカッターシャツの背中が震えている。
「好きや。」
戦慄く声。
ずっとずっとその胸に殺してきた言葉。
「好きや。」
すがるように腕の力が強くなる。
何故か悲しくなって、新一は平次の髪に手を伸ばし白い指で梳いた。
まわされた腕が、腰から這いあがり背中を辿る。服を掴んで、また強く抱きしめる。
言葉の無力さにうちひしがれるのか、けれど他に告げる思いを持たないのだろう。
蜘蛛の糸を手繰る咎人のように、ただその腕を新一へと絡めて静かに咆哮する。
「好きや。」
ああ。届かない届かない届かない。
足掻く心の叫びが聞こえてきそうだ。
新一はシャツの襟を両手で掴んで、平次に無理やり上を向かせた。
絶望に近い表情で、彼は裁きを待っている。
言葉では到底足りない、思う深さを告げるには足りない全てをもてあましているのだ。
新一は平次に顔を近づける。息のかかるほど近くまで。
「ばーろー。」
「工藤、」
言葉では足りないというのなら、お前の全部で俺に知らしめろ。
「服部。」
こくりと息を飲んでから囁くように名前を呼ぶと、背中の手がするりと頬へと伸びてきたので新一は目を伏せた。
「工藤」
名前を呼ばれるだけで、不安とこれからの行為への恐れと、・・・隠せない甘い期待に足がすくむ。
けれど同時に彼の心臓を抉りとって、頬すりしたくなるほどの衝動があるなんて告げたら。
近づく唇を感じながら、新一は酷薄な笑みを浮かべた。
サロメのような感情に溺れるつもりはないけれど、その光景はひどく心を酔わせる。
きっと平次はその胸を喜んで裂いて、とても満足そうに笑うに違いない。
ネタばれになるのでどうしようかと思いましたが、
やっぱりもどきでもイヤな方もいるかもしれないし、びっくりされるといけないので一応ワンクッション。
本文は 下記左の つづきはこちら からお願いします。
ベッドの中で枕を抱えたままごろごろと転がる平次を見て、新一は呆れた溜息をつく。
「オッサンくせえ。年のせいじゃねえのか?」
「やかまし。体がだるいんは自分かて同じやろ。」
すでに着替えをすませてベッド脇に立つ新一の腿を、平次の足がするりと撫でる。
途端、腰が抜けたか新一はかくんと座り込んでしまった。
「そんなふうに睨んだかて、かわいいだけやで?」
「三十路になる男相手に言うせりふじゃねえな。」
きっと睨んだその視線を心地よさそうに受け止めて、平次が新一の頬へと指を伸ばす。
「工藤はじーさんになっても、きっとかわいいで♪」
歌うように言うその表情が本音だと告げて、新一はふいっと横を向いた。
「・・・馬鹿か、てめえ。」
「ほんまのことやもん。」
赤くなった耳を目ざとく見つけながら、上機嫌で答える平次はふと真顔に戻った。
「ずっと、ずっと、お前だけや。―――工藤。」
「・・・わあってるよ。」
振り向かず、新一は天を仰いだ。
「―――もう、10年か。」
互いの思いを告げて、その手を取り合ったのは高校を卒業して数年後のこと。
片思いのまま自身の中で消してしまおうとした熱情は、思いもかけぬ形で実ることとなった。
唇を重ね、熱を合わせ、生涯を誓うまでにさほど時間はかからず。
その時、二人が決めたことがある。
「約束の10年やな。」
「ああ。」
新一はその時のことを鮮明に覚えている。
蘭に彼ができたことをどこからか聞いた有希子が、新一のもとへ駆けつけた。
心配というよりも、どちらかといえばそれに付随する情報―――誰か他につきあっている人間がいるのではないかという噂を確認したかったことの方が内心強かったようだ。
平次とつきあっていることは新一は誰にも内緒にしていたが、滲み出るものがあったのかつきあい始めの頃は”女の感”なる噂をたてられ閉口した。
この時はどうにかごまかすことができたものの、もし優作が一緒だったらごまかしきれたかどうかわからない。
いっそきちんと話したほうがという平次に、今はまだ早いと反論した新一が互いに話し合い出した結論。
「10年だ。」
「10年?」
「そうだ。10年、俺たちが変わらずに、このままの関係でいられたら、その時に話そう。」
「・・・・・・なるほど。」
工藤邸の書斎の椅子に腰掛けていた新一が、行儀悪く机に座る平次を横目にその背もたれに体を預ける。
「どれほど理解のある親だと言っても、今のままじゃ”若き日の過ち”くらいにしかとってもらえねえ。」
「まあ、好んで茨の道歩かせたい親はおらんわな。」
思いを告げる前の葛藤を思い出したか、平次は机から降りると苦いものを噛んだような顔をして答えた。
つられたように新一も椅子から立ち上がる。
「お前は俺に”永遠”を誓ったんだろう?10年なんて、序の口だろーが。」
「10年後は三十路か。適齢期で周囲もうるさい頃やろーし。」
丁度ええ頃ではあるな。一人ごちて、平次は新一を見る。
視線に気付いた新一が平次を見つめ返すと、互いにその距離を縮めていった。
「フライングはなしだぜ?」
「お前との約束以上のもんなんてあらへん。」
胸を合わせ、平次は新一の腰に腕をまわした。新一の手は平次の背中のシャツを掴む。
抱き合い、くすぐるように笑いあった。
「緊張するなー。」
鏡を見ながらネクタイを締める平次を、すでに完璧な仕上がりを全身鏡で確認した新一が笑う。
「とりあえずお前の親からって、くじびきで決めただろう。」
「二人で一緒にご挨拶か。工藤が何言うてくれるか楽しみやな。」
きゅっとネクタイを仕上げると、背広の襟をぱしっとはたく。
新一のほうを見て、完璧と告げて。
「行こうか。」
平次が差し出した手を新一はばしんと弾く。
互いに勝気な笑みを浮かべて、拳を作ってそれをこつんと合わせた。
勝負には負けたことがないのだ。今回も負けるつもりはない。
けして相手を離すつもりはないのだから。
早く結婚するといい(笑)
平次はコナンを抱きかかえたままタクシーへと乗った。
観光地から少し離れた休日にも開いている救急病院へと向かう。
無理をさせたコナンの足首はひどく腫れており、彼は痛みを隠しながら事件の最後を見届けていた。
その無理を平次によって指摘され、蘭が病院へ連れて行こうと彼の手をとったところへ
警官が事情聴衆をしたいと毛利親子を呼びにきたのだ。
病院へ付き添っては大阪へと交通機関で今日中に帰宅することはかなわない。
連休中のこともあり急な宿泊なども無理なように思え頭を抱えたが、
この件に関して平次の依頼人である田布施が力になってくれた。
一部屋だけならば小五郎のとった宿に部屋を取ることができるという。
もともと少年たちと毛利小五郎、それに蘭と歩美という組み合わせで部屋を取っていたのだ。
蘭たちの部屋に和葉を、そして追加した部屋に平次を宿泊させる話もつき、
手続きのためと子供たちの監督役として和葉は直接宿へと向かった。
病院でレントゲンをとるなど検査をひととおり終えて、コナンの足には捻挫以外の異常もなく、
安堵の息をついたところで看護婦に平次は掴まってしまったのだ。
「信じらんねえ」
「・・・堪忍。」
「付き添いの方が重症って、どういうことだよ。」
「せやから悪かったって・・・」
コナンの足は治療を終え、今はテーピングできっちりと固定されている。
その足を再び松葉杖でかばいながら立っている場所は、治療室で点滴を受けている平次の隣。
コナンの足の包帯を巻いた看護婦は、彼の後ろに立っていた平次の顔をしばらく眺めた後、
がっしりと腕を掴むとドスのきいた声で「いつから?」と一言。
何のことだと平次の顔を見上げれば、彼は目を泳がせながらどうごまかそうかと口を歪ませていた。
看護婦は机においてあった体温計をとると平次の眼前に突き出し、有無を言わせぬ迫力でその結果を迫った。
肩を落としながらそれを受け取る平次を見て、
ようやく彼が体調を崩していることに遅ればせながら気がついたコナンは憤りを隠そうともせず、
平次の横たわるベッドに付き添いながら、点滴を終えるまでの間ずっと文句を言い続けていた。
「インフルの検査は陰性だったからええかな、と思うて。」
天井を見上げながら、苦笑交じりに呟く言葉が重い。
一昨日の夜から出始めた熱を隠しての強行軍だったらしい。
和葉にも内緒にしていたらしく、思い返せばそれとなく距離を何時も以上に置いていた。
上着のポケットには小さなピルケースに入れられた薬がしまわれており、
その薬を確かめた医者が顔をしかめたのをコナンも見ている。
「バイクで移動しなかったのも、それが理由か」
「ちょっとキツめの薬やったから、念のためな。」
39℃超えの熱を、薬で抑えてまで依頼受けるか・・・?
自分ならばためらいもなく引き受けるであろうコトは棚にあげて、コナンはまた大仰に溜息をついた。
「そんな顔せんといて。」
針の刺さっていない側の手で、コナンの髪をくしゃりと混ぜると平次は笑った。
「大事な姉ちゃん攫われたら、そっちのことで周囲に気を配れんは当たりまえやろ?」
「・・・誰もてめえの心配なんざしてねえよ。」
見透かされた自己嫌悪を隠すように俯いて、乗せられた手を片手で払う。
「へえへえ。」
嬉しそうな声でかえされるのが悔しいと拳をきゅっと握れば、
平次がふと思いついたように上目遣いの視線をコナンへと向けた。
「点滴終わったら、宿に帰るけど・・・・和葉たちには内緒にしてえな?」
「・・・しょうがねえな。」
大げさにしたくない気持ちと、心配をかけたくない気持ち。
そしてそれ以上に静かに眠りたいことも考慮しておとなしく頷くと、平次はほっとしたように体の力を抜いた。
二人の診察を終えた頃には夜はとっぷりと暮れており、宿の食事の時間には間に合いそうになかった。
宿にいる蘭へと連絡をとり、夕食をとってから帰ると告げてタクシーに乗り込む。
点滴を終え、多少体力の回復を見せた平次はいつもの表情を取り戻しており、
道が少し悪いことを理由に、コナンの脚をかばうべく彼を膝の上に乗せている。
行きには気付かなかったが、がたりと車が揺れる都度コナンの体が揺れぬよう、
さりげなく平次は腕に力をいれていることに新一は気付いた。
気付くのが遅れたことへの苛立ちと、何故かその仕草に悔しい思いを感じていたが、
体の強張りで気付かれたことを悟った平次はタクシーの運転手とミラー越しに会話するばかりで、
コナンは抵抗する隙を失った。
運転手から聞いた店で、何故か意気投合した運転手と一緒に3人でラーメンをすすることにもなったが、
これは平次の気遣いだけではなく人柄の為せるわざであろう。
宿に着いた頃にはすでに9時を廻り、子供たちは昼の疲れも手伝って夢の中だ。
小五郎は蘭の心配から開放され、風呂に入った後に祝杯をあげており、それは今だ続行中とのこと。
そんな説明をしながら二人を出迎えた蘭と和葉は鮮やかな色の浴衣に身を包み、
湯上りのしっとりとした肌がその浴衣の隙間からいつもよりも多く零れる。
おもわず反射的に胸元を凝視し、慌ててそらすもののそのタイミングは二人とも同じで、
罰の悪さを悪態で隠しながら首をかしげる二人の女性をなるべく見ないようにして歩いた。
「んで、俺の部屋は?」
「部屋の鍵をカウンターでもらって、チェックインしてくれって。」
「さよか。」
すたすたと足早にカウンターへと向かう平次を後ろから蘭が呼び止める。
「ねえ、服部君。この後どうする?」
「うちらはとりあえず部屋で寝てる歩美ちゃんの邪魔せんように、卓球でもしに行こうかって話してんけど。」
期待がこぼれる声。いつもと違う旅行先、浴衣姿で片思い人を待つ。
(・・・そんで蘭が途中で俺を部屋に送るために離脱ってとこか・・・?)
わかりやすい策略に乾いた笑いがでたが、今日の平次にはつらいだけだろう。
どう断ろうか、和葉だけならば適当にあしらうこともできるだろうが蘭も一緒となると無碍にもできないと
答えあぐねる姿にコナンは助け舟を出す。
「平次兄ちゃん、お風呂。」
「そうやそうや。俺、こいつを風呂にいれる約束しとったわ。蘭ちゃん、悪いけど和葉の相手したってくれるか?」
「蘭姉ちゃん、僕は大丈夫だから、気にしないで和葉姉ちゃんと一緒に遊んできてよ。」
ぎゅっと平次の服の裾を掴んでにっこり笑うと、女性二人は顔を見合わせる。
「こいつの面倒はちゃんと見たるから。」
落胆する表情を隠せない和葉をほっておけない蘭の性格も考慮済み。
遠慮がちに去る二人に手を振り見送る。
廊下の角をまがって姿が見えなくなると二人して安堵の息を吐いた。
片手で謝辞を示す平次に、いいからとっとと部屋に向かえとカウンターを指差した。
一緒に歩き出そうとして、靴紐がほどけかけていることに気付く。
直そうとしゃがみこむと平次が気になったのか振り返るが、それを邪険にしっしと手で追い払う。
平次は肩をすくめて、先にカウンターへと肘をかけ、受付へと名前を告げれば、
番頭だろうか年配の男が頷くようにして鍵が差し出された。
コナンが遠目に眺めていると言葉を交わす様子がおかしい。
何度も頭を下げる男を平次は手で制し、その遣り取りに気付いた女将までもが加わる。
女将はそのまま平次を部屋へと案内するようだ。平次の少し先を後ろを気遣いながら歩いていく。
なんとなく気になりカウンターへ寄ると、先ほど平次に対応していた男へと質問を投げかける。
「ねえねえ、おじさん。さっきのお兄ちゃんに何話したの?」
「ん?ああ、毛利さんとこの子か。・・・そういえば彼は毛利さんの知り合いだったね。」
知人であれば、と彼の話す事情を聞くうちコナンの顔が曇る。
先ほどから腕をさする回数の増えた平次がただでさえ気にかかるというのに、
また心配の種が増やされた苛立ちについ舌打がこぼれると、その大人びた仕草に驚いた男が目を丸くした。
慌てて今では慣れたごまかし笑いでその場を凌ぎ、小五郎のもとへと部屋の鍵を受けとろうと宴会場へ歩き出そうとしたものの、
やはり気にかかるのは平次のことだった。
しばし悩んだものの、ぐしゃぐしゃと髪をかき回してもやはり結果は一緒で。
「しょうがねえなあ。」
呟いて、宴会場とは異なる方角――平次の部屋へと足を向けた。
こつりと音をたててとめた松葉杖に、よりかかるようにして扉を見上げた。
先ほど教えてもらった部屋の前へと立ったが、この扉をノックするのには少し勇気がいる。
けれど、ここで躊躇しても仕方がないと覚悟を決めてコナンは扉を叩いた。
しかし返事はない。もう寝たのだろうか。
「おい、服部。俺だ。あけろよ。」
もう一度、今度は声をかけながら強めにノックする。
人のいる気配が強くなり、ロックが解除される金属音が静かな廊下に響く。
「なんや、工藤。・・・って、おい。」
「邪魔するぜ。」
松葉杖を下駄箱に立てかけると、するりと平次の横をすりぬけて片足でけんけんと部屋奥へと向かう。
予想通り部屋は冷たく、ひんやりとした空気で満たされいた。
テーブルの上には茶に手をつけた形跡はなく、水が少し残るグラスだけがぽつりと置かれている。
「どうした?」
声にふりかえれば、扉を施錠した平次が後ろから歩いてくるところだった。
和服を着るのは得意だろうに、少しだらりとした浴衣姿。
着替えるのもおっくうだったのかと溜息が出た。
「・・・なんや?」
「いや、いい。」
説明するのも面倒だと、そのまま押入れの襖に手をかけて手前に開く。
習慣なのかジャケットだけはハンガーにきちんとかけられていたが、その他の衣服は脱いだまま畳の上に散らばっていた。
ごそごそと押入れの中にしまわれた浴衣をあさり、小人と書かれたものを探し出す。
目当てのものをみつけると、コナンはそのままシャツのボタンに手をかけて脱ぎ始めた。
「ちょお、待て。」
「おっちゃんが戻ってこねえから、部屋に入れねんだよ。」
ぶっきらぼうに答えると平次は、ああと納得したように頷いたがすぐに慌てて言葉を紡ぐ。
「俺が探したるからそれまで和葉ん部屋で・・・」
「今からじゃ蘭にも遠山さんにも心配かけるだろうが。」
「俺はええんかい。」
途端、ぶすっとした口調で答えたのがおかしい。コナンは平次を見上げて勝気な笑みを浮かべた。
「お前なら別にかまわねえだろ?」
ぐ、と答えにつまる様子がおかしくて、コナンはなんとなくうかれた気分になる。
しゅると衣擦れの音をたてて浴衣をはおり、襟元をあわせながら帯を巻いていく。
和服を着るのは得意ではないが、さほど苦手でもない。
手際よく着こなす姿を眺めながら、平次は口をぱくぱくとさせて反撃の糸口を探ろうとしていたが、
結局何も言うことができないまま壁にもたれる。
「てな訳で、今夜はここで寝るから。」
いつものようにぶっきらぼうに、決定事項を告げる口調。
平次はそれを聞くとおおきな溜息をついて、片手で顔を覆う。
「・・・あかんわ、風邪がうつるといかんし。」
「寒いし疲れたで、俺はとっとと寝たいんだよ。」
うつるんなら、もうとっくに移ってんだろーがと呟きながら、くわぁと欠伸を噛む。
こうなると何を言っても無駄と悟ったか、よろよろとしながらも押入れへと向かった。
その動きを待たず、コナンは敷いてあった布団にごそごそともぐりこもうとすると、
慌てた様子で平次が止めにはいる。
「何してん自分っ」
「・・・寝るんだよ。」
はぎとられた布団をぎちっと引き寄せながら、コナンが上目遣いに平次を睨む。
「布団引いたるから、ちゃんとそっちで寝えや。」
「寒いからヤだ。」
布団を体で巻き込んで、容易にはぎとれぬようにして
「ごんた言いおおってからに、」
「っるっせえなあ・・・、面倒だからてめえも寝ちまえばいいだろう?」
ぺしぺしと敷き布団の上を叩いて告げれば、ひどく嫌そうに彼は眉を寄せつつ反論しようと口を開いた。
しかし、そこからは飛び出したのは言葉ではなく大きなくしゃみ。
薄着の浴衣姿でこの寒さの中にいれば当たりまえだろう。
反動でくらりと眩暈がしたか、そのまま平次はしゃがみこんだ。
「あー・・・」
「おい。」
額に手をあてたまま、俯いてじっとしている平次に近づくとコナンはその腕をひいた。
膝をつくと、そのままあきらめたように布団の上に横たわる。
そうとう体がきつかったのだろう。
ぐったりとしたその姿にさすがにコナンも不安になるが、点滴と投薬でできうる処置は済んでいることを考慮すれば後は温かくして寝るだけだ。
「阿呆やな・・・」
「てめえがな。」
「・・・違いないわ。」
口元を歪ませ、寒いのか体をわずかに震わすとおとなしく布団にもぐりこむ。
コナンはそんな平次の横に少し遠慮がちにもぐりこんだ。
少し平次と距離をおいたせいか、わずかに背中が布団がはみ出る。
ふとそれに気付いたか平次は腕を伸ばし、コナンの体が布団に収まりきっていないことを知ると掛け布団をコナンの方へと寄せていった。
しかしコナンは無言でその布団を平次へと押し返す。
しばらく静かな攻防が繰り広げられたが、埒もあかぬと判断したらしい。
平次はコナンの体を引き寄せて腕に収めた。
「・・・ぬくい。」
熱の高い体にコナンの体温は冷たく感じるだろうに、平次はそう言うとひどく嬉しそうに笑った。
その表情はくすぐったいほどのもどかしさを感じさせて、意地をはる言葉も出てこない。
布団の中はぬくぬくとぬくまり、温度もゆっくりと上昇していくのか、筋肉がほぐれていくように力が抜けていった。
抱きかかえられ、子供のように扱われていても嫌な感じはしない。
むしろ今回はこうなるように仕向けたのだから当然といえば当然だが。
番頭から、空いていた部屋はエアコンが故障していたことを聞いている。
そんな部屋に熱のある人間を一人置いておけるか、馬鹿。
てめえが俺の脚になるんなら、俺は今日だけ、てめえの湯たんぽになってやるから。
「・・・感謝しやがれ。」
ぽつりと漏れた呟きを聞きとめて、今度は低く平次が笑う。
まわされた腕の力が強くなって、少し苦しいほどだが不思議と安堵感が伴っていた。
人肌は苦手なはずだったのに、何故だろう彼のものは心地よく自分になじむ。
「おやすみ。」
「おう・・・。」
とろりと沈む意識。瞼が重くなっていく。
朝から風呂につかっていたうえ、一日中蘭の心配で心身ともに疲労していたためか、早々に眠りが訪れてくる。
無意識に目の前のぬくもりにすりよりながら、コナンは意識を手放した。
「かなわんなぁ・・・。」
しばらくして囁かれた言葉は、相手へと届かないまま静かな夜に―――消えて。
一ヶ月もお待たせしました。リクの平コです♪こがわさまに捧げます。
お待たせした割にたいしたことなくてすみません・・・!
間があいたので前後編まとめて再アップしました。
さぐる腕に触れるものは夜の闇だけで、温かいものなんて自分の体温だけ。
・・・そんなものは代わりにならない。
伸ばした腕の先、
握る拳がほんのわずかだけ緩められ、そうしてそのまま溜息でほどかれる。
月明かりが部屋を満たして、せめて彼がそれを浴びているのを信じて窓辺へと手を向けた。
指の間から、届かない月がその先に映る。
反射するガラスには、自嘲の笑みも、伸ばしたままの腕も。
会うたびに壊れていくような気がする。
胸のうちせりあがる焦燥。
携帯はとうにほおり投げて、電源をオフにしたまま部屋の隅で転がる。
夜を閉じ込めたような色の彼の瞳を思い出し、この部屋のような淋しさがそこにはないのだろうか、と考えて。
都合のいい考えが馬鹿馬鹿しくて、また嗤う。
眠れぬ夜を過ごすのには慣れたけれど、何もかもに爪を立てたくなるようなこんな衝動にはいつまでも不慣れだ。
「・・・っ」
名前を呼んだら、届いてしまうかもしれないから、白い息だけを吐いて唇を噛み締め塞ぐ。
この手は、この声は、・・・彼へと届いてはいけない。
「・・・事情は、だいたいわかりました。」
「申し訳ありません。僕が服部くんを巻き込んだばかりに・・・。」
「頭を上げて下さい。平次が自分で選んだことなら、それは平次自身の責任です。」
服部邸の応接室で、机越しに静華と向かい合い話をしていた新一が頭を上げる。
隣には小さくなった平次がちょこんと座っていた。
荒唐無稽ともいえるこんな話を静華が信じるか、やや不安であったもののさすがは母親。
話している相手があの工藤新一ということ、そして姿が自分の記憶する小学生の平次と一致したことで
意外なほどあっさりと静華はそれを信じた。
けれど経緯の概要を話す最中、時折揺れる肩。
新一はその震えに母親の悲しみを見たような気がして、膝の上に置いた手を握り締めた。
「・・・本当に、申し訳ありません・・・!」
もう一度深く頭を下げる。
「ええのよ、工藤くん。それよりも、もっと大事なことが・・・」
静華は唐突に携帯電話を取り出した。
客人である新一を前に電話するなど、普段ならありえぬこと。まして家で携帯を使うなど。
動揺しているのだろうか。
ピピピとボタンを軽快に押すとコール音を確認するのかその電話を耳にあてる。
父親である平蔵氏に連絡をとっているのだろうと、二人は思った。
やはり重要な事項なのだから、彼の帰宅を待って話をすべきだったろうかと考えていると静華の弾んだ声が飛び込んでくる。
「写真館ベルサイユさんですか?」
はい?
「七五三の写真って、まだやってます?・・・ええ。フェアは終わってるけどまだやってはるんですね?」
意外な通話相手に、二人が耳を疑う。
「ちょ、おかんっ」
静止しようとした平次を視線だけでその動きを止めると、何事もなかったように静華は電話を続ける。
「へえ。袴とスーツと、・・・衣装は選べるんですな。明日はどないでしょう?」
呆気にとられた二人を置いて、静華は話をとんとんと進めていく。
そして電話を切ると、きりっと二人を見据えた。
「・・・もう一度こんなかわいい頃の平次を見られるなんて、ほんまラッキーですわ。」
拳握って力説って、着物姿には似合わないような気がします。
っていうか目ぇ、きらっきらしてません?
平次の内面の声が漏れたわけではないだろうが、たまりかねて新一が口を開こうとする。
「・・・あの・・・。」
「あかん・・・ああなったらもう止められへん・・・。」
ああそうだろうな、と新一は平次の嘆きに心の中で相槌をうつ。
自分が小さくなった時にも、帰国した有希子に馴染みのカメラマンのところへ連れ込まれ、
しばらく拘束されてしまったことを思い出す。
「広告で見たら最近の写真屋さんは色々と衣装も手がこんでて、写真集まで作れるいうやないの!
もう、うらやましゅうてうらやましゅうて。」
平次が小さい頃にはこんな写真屋なかったから、とまくし立てているその顔はうっとりとした恍惚が滲む。
そういえばビデオを撮るためだけにスキー合宿にまでついてきたことがあったことを、平次は遅ればせながら思い出した。
「とりあえず明日予約いれたから、今日は服揃えにいきましょ。」
「じゃあ、僕は改めて夜にもう一度お伺いしま・・・」
「工藤君のアドバイスも聞きたいから、一緒についてきてねぇ。夕食はうちで用意するから今日は泊っていって。」
辞退しようと腰を浮かしかけた新一に、ぼそりとその中座を阻む一言。
「うちの人にも事情を直接話して欲しいし。」
新一はこわばった笑みを白い頬にはりつけたまま、もう一度座布団へとその腰をおろす。
タクシーを呼ぶ手配をしている静華をじとっと横目で眺めながら、平次が呟いた。
「・・・工藤、すまんな・・・。」
「いや、いい・・・。」
この後の惨状が用意に想像できて、二人は大きく溜息をついた。
新一のもたれた壁に手をついて、平次は彼を見上げた。
彼が小さな体のときはこんな視点だったのかと、
何故か笑いがこぼれてきたのを見咎めて新一が顔を歪ませる。
「工藤」
呼んだ声に耳を塞ぐかのように、彼は両腕で顔を覆った。
少しだけのぞいた口元が噛み締められて、
その悲しみを飲み込みきれていないことを知らせた。
平次の呼ぶ声に耳を塞ぎながら、新一はいっそう強く両腕で顔を覆う。
つらくて息がうまくできない。
戻ることができたのは、どうしてか。
その理由を彼女に問い詰めたことを後悔する。
けれど知らずにいることもできない、したくない。
真実を知った今となっては、―――なお。
どうして、と呟くことさえできやしない。
その理由など問うまでもない。
どれほど大切に思われているのかを、こんなふうに思いしることになるのなら、
どれほど自分が彼を大切に思っていたのかを知らしめるべきだった。
「こんなの、望んでねえっ・・・!」
搾り出した声を聞いて、また平次は笑う。
「知っとる。けど、俺は嬉しい。」
その声に偽りはなく、新一は体から力が抜けていった。
ずるずるともたれかかる壁を伝い、床に腰を下ろす。
腕の中に俯いたままの顔を隠していれば、いつものように頭を撫でられた。
けれど、いつもとは違うその感触。
・・・その手は小さく、腕の隙間からのぞく彼の足は細い。
コナンの時の自分のように。
耐え切れずその体をかき抱く。
自分よりも幾分かがっしりとしていたはずの体が、すっぽりと腕に収まる。
「・・・苦しいわ、工藤。」
けれど腕を緩めることはできない。
失われたデータは、新たな被検体により新たなデータを得ることで再生しうる。
できた解毒剤は一人分。
彼の解毒剤の完成まで、どれほど時間がかかるかはわからないなんて。
それを知りつつ薬を奪うようにしてまで飲んだことを、憎むような気持ちで罵りたい。
すり、と頬ずりされて新一はより悲しくなる。
平次はもう一度新一へと頬を寄せて、ひどく幸せそうに笑った。
12/8 拍手のタグを間違えたたため、拍手ページへとべなかったようです。ご迷惑をおかけしました。
ご指摘いただけてとても助かりました。レスは後日。
何故だと自問自答しつつも数年ぶりに筆をとる。
