「お、ええなあ。キリマンジャロか。」
リビングでテレビを見ていた平次が漏らした独り言。
じゃんけんに負けてビールを運んできた新一は、珍しく応対する。
「なんだ、登山に興味あるのか。」
ソファに座ったままの平次にビールを手渡すと、新一はそのまま隣にどっかりと腰を下ろした。
「興味というか、一度はこういう場所に行ってみたいと思わん?」
「んー・・・。」
新一は生返事でビールを煽る。
「山にも色々チャレンジしたことはあるけど、
こんな水平線のような雲海を見せられると、一度ナマで拝んでみたいわ。」
「ふーん・・・・・。」
平次はテレビに視線を向けたままだ。だから、新一の口元に浮かんだ笑みを見ることは出来なかった。
もし、その凶悪な笑みを見ていたら、何か企んでいたことに気づいたかもしれないが。
翌日、平次はヘリコプターの重厚なプロペラ音に起こされた。
「やっかましいなあ・・・。」
Tシャツ短パンの寝巻き姿のまま、のそのそとベランダに出る。
「へ?」
足元に映るヘリの影があまりに濃く、そのまま空を見上げて目を疑った。
工藤邸のすぐ真上をヘリが飛んでいる。
あまりの近距離に呆気にとられて見れば、ヘリから縄梯子がばらりと投げ出された。
見ていると、その梯子に人が掴まり大きく揺れながら降りてくる。
「なんやなんや?」
「あー・・・思ったより早かったな。」
突然、背後で聞こえた声。
「工藤、なんやコレは!」
振り返ると新一が立っていた。
「何って、ヘリコプターだろ?」
「俺が聞いてるのはそういうこととちゃうわっ!」
そんなやりとりをしているうちに、縄梯子をつたう人物は、ベランダへと降り立つ。
「やあやあ、ひさしぶりだねえ。」
サングラスで顔はわからないが、この大音響の中でよく通る穏やかな低い声。
「ひさしぶり。コレが話した例の・・・」
「うんうん。イキがよさそうで安心したよ。」
「丈夫さは保障する。でもちゃんと返せよ。」
「ちょっと待てー!」
不穏な空気を感じて、平次は二人の会話を大声でさえぎった。
「ちゅうか、工藤、誰やこいつ。」
平次がヘリから降りてきた人物をびしっと指差して、新一へと詰め寄る。
指さされた人物は、サングラスを外してにっこりと笑った。
「はじめまして、工藤優作です。」
「親父だよ。知ってるだろ。」
驚いた平次が固まったまま挨拶を返す。
「はじめまして・・・。ええっと、その服部平次です・・・・って、何して・・・」
その間、新一はヘリから縄梯子とともに降りてきたものを受け取っていた。
「ホイストだよ。しっかり装着しないと、落ちるだろ。」
「ホイストって、救助ヘリとかに装備されてる、人を吊り上げて運ぶ・・・」
全部言い終わらないうちに平次の踵は地面を離れた。
「ええええええええ。」
空中で叫ぶ服部を見て、新一は嬉しそうに笑う。
「服部ー、がんばれよー。」
ようやく、この悪戯が誰の主導かわかった平次が吊るされたまま叫ぶ。
「ちゅうか、工藤、どういうこっちゃ!」
「昨日言ってただろー。キリマンジャロ行きたいって。」
「ちょうど一緒に登る人間を探してたんですよー。やあ、嬉しいなあ。」
いつのまにか縄梯子に掴まり、平次と同じ高さまで上がってきた優作が笑顔で言う。
「昨日、息子から電話をもらいましてね。邪魔にならない人間で登りたがってるのがいるっていうので・・・」
「気持ちは嬉しいですがっ!俺、何の準備もしとらんしっ!」
「装備はこちらで全部そろえましたよー。靴は大阪に寄ってもう受け取ってます。」
「はあ?」
「お母様からもよろしくといわれてますから。」
にっこりと笑って、でも有無を言わせないその態度にDNAの力を見た平次はがっくりと肩を落とす。
下を見れば、それはそれは意地悪な笑みを浮かべた愛しの人。
「あかん・・・すごく楽しそうや・・・。」
「新一は悪戯が好きですからねえ。最近はナリをひそめてましたが。」
遠ざかり、少しずつ小さくなる姿を見つめながらため息をつく平次を横目で眺めながら優作が呟く。
「遠慮なくそういうことができる相手ということでしょう。」
ずりずりと持ち上げられる体をヘリにまかせながら、あらためて工藤家のすごさを思い知る。
はーっと大きなため息をついて、平次は抵抗を止めた。
平次は知らないが、これからしばらく高所訓練も兼ねてけっこうな時間をアフリカで
ゆっくりじっくり優作と一緒に過ごすことになる。
その間、大切な一人息子が選んだ人間を父親がどう判断するか。
それをわかっていながら託した新一が、平次にどれほど自信を持っているかわかるだろう。
あなたに私の気持ちの、何がわかるの。
人を愛する気持ち、
人を慈しむ気持ち、
人を憎む気持ち、
何かを大切に思う気持ち、
罪を、許せない気持ち。
色んな想いがあって、それらが交錯して血が流れる。
こんなふうに手を汚したのは、理由があるから。
自己憐憫に濡れた声を上げながら
警察に両脇を固められた女が自分を罵倒する。
けれど、そう叫ぶ声は遠く、耳を滑るだけ。
何がわかるかって?
そうだな。
他人それぞれに沈む心までは、全て汲むことができないだろうさ。
だけど、俺は暴くことを止めない。
どれほどそれが、全てを傷つけることでも。
そうだね。
でも、一つだけわかることもある。
人を好きになる気持ちが、これほど恐ろしいとは知らなかった。
好きって気持ちは、優しくて柔らかくて、心地いいものだと信じていたんだ。
だから、ひとつだけはわかるよ。
好きになる気持ちは、本当、自分を壊しかねないほどの濁流だ。
だけどどんなに憎しみを呼び起こされるようなことが起きても、
そう、例えばあいつが殺されても、俺はあなたのように手は汚さない。
探偵である自分を否定することはしない。
それを一番悲しむのが誰か知っているから。
儚く笑う新一を、まるで初めて出会った人を見るような目で眺める彼女は
ふいに口角を吊り上げて魔女のように嗤った。
とりとめなく考えながら歩いていたため俯いていた顔を、のっそりとあげる。
「きれいやな」
彼が指さす先には、艶やかな夕日。
鮮やかな橙が薄桃に染まる空を侵食し、同時に彼の笑う顔に深く影を刻んでいく。
それらはじきに黄昏に沈んで、濃紺の闇がその灯りを引きずり込む。
そう、じきに。
「ぼおっとしとらんと、こっちで見よ?」
手首を掴まれて引き寄せられる。
体温が右側だけ熱くなる。
「すぐに沈むだろ。」
ぶっきらぼうに答えれば、掴んだままの手に力がこもった。
「・・・今はきれいやろ。」
「ふうん。」
何故だろうか、急に、
きっとこの景色を忘れないだろうと思った。
モトネタはSIONの曲です。大好き!大好き!
すごく、いいんです。もう、ゆーちゅーぶでもなんでもいいから、一度聞いてみて欲しい!
おっさんの声は胸に響く!歌詞もすごくて、息が苦しくなるほどです。
何故だと自問自答しつつも数年ぶりに筆をとる。
