駄目だ。早く目を覚まさないと。
何度目かになるかわからない唾を嚥下する。また喉仏が大きく上下する。
目を見開いている感覚があって視界も良好、充分部屋を見渡せるほどに。
けれど瞼がゆるりと閉じられていることも同じく感覚で気付いている。
そしてそれは、ただ現実を感じるパーツに成り下がる。
がむしゃらに体中に力をいれて暴れようとするが、ベッドの上の体はぴくりとも動かない。
金縛りか、上から何かがのしかかる重圧感に指先ひとつ動かない。
こちらの焦燥と必死の足掻きを知らず、彼は佇んでいる。
静謐の中の緑のように優しい瞳がこちらを見ている。
淡く浮かんだ笑みが澄んだ湖に投げこまれた石みたいで、それは静かに心を波立たせていく。
波紋は大きくなるばかり、もし今あの唇が薄く開いて俺の名前を呼んだなら、・・・答えてしまうかもしれない。
名前を、呼んでしまうかもしれない。
いっそ叫んでしまおうか。
言葉など失って、ただ喉が枯れるまで叫び続ければ名前など呼ぶこともない。
そう思っても口を開くこともできず、じれて舌を噛もうとしてもそれも叶わない。
たとえ一人きりの部屋でも、隠した感情を含めた声で呼んだことはない。
指の腹を何度噛んで耐えたことだろう。
唇という堰を一度超えてしまうことが恐ろしい。
恐ろしい。
早く、目を覚まさなければ。
誰にも聞かれる前に、誰にも気づかれぬ前に。
高木刑事が後を追っている可能性がある以上、誰かが傍にいる可能性が否めない。
短いやりとりではあったが、見た目ほど鈍くない高木はそうした時の思い切りはいい。
服部も、俺との連絡がつかなければ高木へと連絡をつけている可能性が高い。
もしかすると最悪ビルの横に体を放り出されて死んでいるのかもしれないが、なんとなくそれはないという感覚がある。
そして自分の体がこの夢のとおり現実に病院にあると仮定すれば、身近な人間や警察関係者がついているだろうと考えることができるし、特に連絡を受けた蘭が病室へと付き添う確率はかなり高い。
彼らはあいつを知っている。
オレが名前を呼べば、何かを悟られてしまうかもしれない。
――― 暴かれるかもしれない。
それは小さな体だったことが暴露されそうになった時よりも強い恐れ、冷たい汗が背を伝う。
追い詰められた犯人の心情を身を以て知る。胸を押さえたくなる圧迫感。
目を覚まさなければ。
彼のことは本当は夢にだってみたくない。
胸の奥、密かに抱いた気持ちを誰にも悟られたくはない。
もちろん、彼自身にも。
名前を呼ばないように、起きろ起きろとだけ念じ続ける。
目を覚まして、早く理性を。
夢は嫌いなんだ。
たかが夢なんだからと、誘う。
声に何の演技も被せず呼んでもいいじゃないかと、自分の思いを少しでも形にしていいだろうと誘惑する。
ざわつく唇は、もう閉じることはできず薄く開いてしまっている。
わずかに息を吸う。
濡れた口内にその空気は冷たく触れて、焦りは新一の理性まで蝕んでいく。
新一は何か、目を覚ますきっかけが欲しいともう一度部屋中を見渡した。
動かない肉体はもう役にたたない。
夢ならば自分の都合に合わせて、何かできないか。
なんでもいい、工藤新一の矜持と俺をとりまくすべての人間関係を守る為に、何か。
何か。
ふと平次の傍らに置かれた花に目がとまる。
さらさらと流れ落ちることのない砂が蹲る時計にも。
縋るように新一は念じる。
割れろ花瓶。
動け砂粒。
夢如きにこの想いを暴かれてなるものか。
すべての時間が正しく流れ、俺をあるべき姿へと戻せ。
あるべき時間軸へと戻せ。
そのために強い風を一陣、ただ一陣。
何故だと自問自答しつつも数年ぶりに筆をとる。
